金田一春彦先生による動詞分類の第4種「形状動詞」 つまり動詞でありながら状態を意味し、ふつう「ている」を ともなうものについて、 主観性が指摘されている。 例えば、古賀恵介先生は次のように書いている。
つまり、対象の特性を捉えるということの裏には、様々な考慮を経ながらその判断に至るという話し手の認識の“動き”が存在するのである。ただ、「高い」とか「優秀だ」などの形容詞で表現された場合には、その主観的動きが表には出てこない。ところが、日本語は、その主観的動きを純粋に投影させて表現する動詞を発達させた。それが、金田一が第四種動詞と呼んだ一群の動詞なのである。
しかし、私にはこれが疑問である。 主な理由は、 形容詞(形容動詞)であれば誰の主観であるかを示しやすいのに対して、 形状動詞ではそれが難しくなるからである。
準備のために、 感覚の「ベトベトする」を使った次の会話を考えてみる。 感覚では動詞を使っても、形容詞を使っても経験者を示すことができる。
- このクリーム、ベトベトするよ。
- そうかな。
-
- 私にはベトベトだよ。
- 私はベトベトするよ。
- 私にはベトベトなの。
- 私はベトベトするの。
- 私にはベトベトするの。
これに対して、形状動詞の「ネチョネチョする」ではどうなるだろうか。
- このクリーム、ネチョネチョしてるよ。
- そうかな。
-
- 私にはネチョネチョだよ。
- *私はネチョネチョしてるよ。
- ?私にはネチョネチョしてるよ。
- 私にはネチョネチョなの。
- 私にはネチョネチョしてるの。
つまり、判断や主張の「のだ」を使わないと、 形容詞に比べると動詞では、 誰の主観かが示しにくくなっている。 なぜ主観的な判断が入るとされた方が、誰の主観かを示すのが難しいのだろうか。
ところで、英語にも第4種に相当する動詞はそれなりにある。
- ジョンはお父さんに似ている。
- John resembles to his father.
- あなたの子どもは数学で優れている。
- Your child excels in mathematics.
このような現在形と「ている」形の対応は、 通常の状態動詞でも同じである。
- 愛しています。
- I love you.
- 知ってるよ。
- I know.
ということで、修飾するときに「た」形が出てきやすいことを除けば、 形状動詞は状態動詞にすぎないのではないかと考えている。