2015年3月25日水曜日

金田一第4種動詞は主観的なのか

金田一春彦先生による動詞分類の第4種「形状動詞」 つまり動詞でありながら状態を意味し、ふつう「ている」を ともなうものについて、 主観性が指摘されている。 例えば、古賀恵介先生は次のように書いている

つまり、対象の特性を捉えるということの裏には、様々な考慮を経ながらその判断に至るという話し手の認識の“動き”が存在するのである。ただ、「高い」とか「優秀だ」などの形容詞で表現された場合には、その主観的動きが表には出てこない。ところが、日本語は、その主観的動きを純粋に投影させて表現する動詞を発達させた。それが、金田一が第四種動詞と呼んだ一群の動詞なのである。

しかし、私にはこれが疑問である。 主な理由は、 形容詞(形容動詞)であれば誰の主観であるかを示しやすいのに対して、 形状動詞ではそれが難しくなるからである。

準備のために、 感覚の「ベトベトする」を使った次の会話を考えてみる。 感覚では動詞を使っても、形容詞を使っても経験者を示すことができる。

  • このクリーム、ベトベトするよ。
  • そうかな。

    • 私にはベトベトだよ。
    • 私はベトベトするよ。
    • 私にはベトベトなの。
    • 私はベトベトするの。
    • 私にはベトベトするの。

これに対して、形状動詞の「ネチョネチョする」ではどうなるだろうか。

  • このクリーム、ネチョネチョしてるよ。
  • そうかな。

    • 私にはネチョネチョだよ。
    • *私はネチョネチョしてるよ。
    • ?私にはネチョネチョしてるよ。
    • 私にはネチョネチョなの。
    • 私にはネチョネチョしてるの。

つまり、判断や主張の「のだ」を使わないと、 形容詞に比べると動詞では、 誰の主観かが示しにくくなっている。 なぜ主観的な判断が入るとされた方が、誰の主観かを示すのが難しいのだろうか。

ところで、英語にも第4種に相当する動詞はそれなりにある。

  • ジョンはお父さんに似ている。
  • John resembles to his father.
  • あなたの子どもは数学で優れている。
  • Your child excels in mathematics.

このような現在形と「ている」形の対応は、 通常の状態動詞でも同じである。

  • 愛しています。
  • I love you.
  • 知ってるよ。
  • I know.

ということで、修飾するときに「た」形が出てきやすいことを除けば、 形状動詞は状態動詞にすぎないのではないかと考えている。

2015年3月23日月曜日

金田一の動詞分類、第4種のアスペクト

金田一春彦先生が、 1950年の「国語動詞の一分類」で 動詞を語彙的アスペクトにより4つに分類した。 なお、第4種の名称「形状動詞」は後に使われるようになったものだ。

  1. 状態動詞「ある」「いる」「出来る」「値する」 -- 「ている」が付かない。
  2. 継続動詞「笑う」「読む」 -- 「ている」が進行を表す。
  3. 瞬間動詞「死ぬ」「消える」 -- 「ている」が結果を表す。
  4. 形状動詞「そびえる」「面する」「優れる」「似る」 -- つねに「ている」で現れる。

例えば、「似る」では具体的な場合で現在の状態について:

  • 今現在、太郎はお父さんに似ている。
  • *今現在、太郎はお父さんに似る。

もちろん形状動詞であっても「ている」をともなわないばあいもある。

  • [一般] 親は子に似る。
  • [未来] 太郎は、痩せれば、お父さんに似る。

国広哲弥先生の『日本語学を斬る』(2015、研究社、p.129)では、 第4種の動詞が「ている」で使われることを「痕跡的認知」によるとして、 「結果」の比喩であると考えている。 名詞を修飾するばあいの形が、 このことをサポートになりうる。

  • お父さんに(似ている|似た|*似る)人が、太郎だ。

しかし、形状動詞は、少なくとも現在では分けて考えるべきではないかと 考える。

「値する」は状態動詞であり、実際、青空文庫には「値している」が 検索しても出てこない。 ところが、 現在では形状動詞として使われる例が出てきている。

また「優れる」などでは、名詞の修飾で「る」形が使われるばあいもある。

形状動詞は、状態を表す動詞の下位区分にすぎないのだと思うが、 考えはまとまっていない。