2014年11月21日金曜日

「汚名」はどうするものなのか

グラフを修正しました。

飯間先生らによる Tweetのまとめ 誤用ではない?「汚名挽回」「名誉挽回」をめぐる辞書編纂者らの議論にあるように、 「汚名挽回」は《誤用》とは言えない。 意味についても、 「挽回」は"悪い状態をよい元の状態にする"ことなので、 「領地挽回」も「失地挽回」も同じことになる。

これに関する議論で個人的に不満なのは、 「汚名返上」がいつから規範になったのか、 また、それ以前はどういう形が規範とされていたのかである。 これについては、別サイトでも日記を書いたことがあるが、 グラフを作ったので、こちらでも書く。

結論から言えば、「汚名返上」自体も戦前においては、通常の表現ではなく、 「汚名を雪ぐ」が適切な表現であったということになる。

「汚名」がある状態の改善として『日国』にあるものは、 『読本・椿説弓張月』(1807--11)続42回「国の為に忠義を竭(つく)して、〓々(ててご)の汚名(オメイ)を雪(きよ)め給へ」である。 しかし、明治以降の例を Google Books で拾うと、 河竹黙阿弥(1892)『狂言百種』の「汚名を雪ぎ」、 柳亭種彦(1898)『偐紫田舎源氏』の「汚名を雪ぎ」のように 「雪ぐ」が多い。

「汚名返上」のGoogle Books における初出は、 1948年『国民健康保険小史』の 「山中町かつては解下最苗の不健康地で死亡卒は千人に十八人の再卒の汚名返上が 戎立の助槻となり」である。 なお、1922年の『歴史の中の教師』は、1993年にぎょうせいから出版されたもので、誤登録である。

「汚名挽回」はこれより古く 1919年『キネマ旬報』「ケイシ—は汚名挽回のため」である。 次は[雑誌では号の刊行年に関係なく、創刊の年が表示されることがあるようだ 2016-10-05] 1928年『三重縣風物記』であるが、用例を見ることができない。 その次が1942年『大東亞戰爭海戰史: 緖戰篇』「汚名挽回のため小癥にも出柒して來た」 である。

1930年から5年(1930年1月1日から1934年12月31日のような分け方)で、 割合を積み上げ面グラフにしたのが、次のものである。 「汚名返上」が拡大したのは、戦後1945年-1950年の短い期間である。 一方、これより古い「汚名挽回」が広まるのは1960年代を待たなければならない。

古来からの「汚名を雪ぐ」が、この議論であまり出てこないことが不思議である。

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