2013年5月28日火曜日

「~る」の意味が文脈によるという性質は、構文がもっているのか

Google+に書いたものの書きなおし。 Indiana大学のN.Tsujimura先生の講演会の感想その1.元ネタは次のものだと思うが読んでいない。

その場でも質問したことであるが、「~る」の意味が文脈性 contextuality をもっているというのは、 一時語動詞 nonce verb 一般の性質で、構文 construction がもっているのではないのではないかという疑問をもった。 ただし、これは僕が Booij などの構文形態論 construction morphology に批判的なためかもしれない。

現代日本語で新語動詞として生産性があるのは「~る」と「~する」である。 この2つで有標なのは「~る」で意味(eventの構造やAktionsart)にも音韻にも条件がある。 一方、「~する」には目立つ条件がない。 そのため、コンビニエンスストアに行くことを意味させる場合でも、 「ファミマる」(< ファミリーマート)に対して、 「セブンする」(< セブンイレブン)になる。 「~る」の意味に文脈性があるのであれば、音韻的条件で代替になる「~する」も文脈性が必要になるはずである。

以下は僕による作例なので、許容しない人もいるかもしれない。

  • (1) (職業を聞かれて) 大学で先生してます。(≒"教員である")
  • (2) (親しい同僚に愚痴って) 学期中は先生してたから、夏休みは研究者しないと。
  • (3) (課題プリントを授業中に個別指導したことを指して) Tっち、珍しく先生しまわってたね。

「~する」でも十分に文脈性があると思う。

こちらも僕の作例で、スペイン語の profesor "先生" から「プロフェソる」を作ってみる。

  • (1') (職業を聞かれて) 大学でプロフェソってるよ。(≒"教えている")
  • (2') (親しい同僚に愚痴って) 学期中はプロフェソってたから、夏休みはエストゥディオソしないと。
  • (3') (課題プリントを授業中に個別指導したことを指して) Tっち、珍しくプロフェソりまわってたね。

構文の側にあるとするならば、(1)と(1')の差で、これを「~る」の側に載せるのが理論としてきれいだと思う。 両側に載せない理由としては、次のような対も考えられる。ただし、(4)は通常の「にこにこする」とはアクセントが異なる。

  • (4) (ニコニコのサービスを利用して)今日はずっとニコニコしてたよ。
  • (4') (ニコニコのサービスを利用して)今日はずっとニコニコってたよ。

一時語でかなり特定した文脈を入れれば、「~る」で言えることは「~する」でも言えるので、 「~る」のテンプレートに意味の文脈性を入れるのは好ましくない。

0 件のコメント:

コメントを投稿