タイプとトークンの小話。
A: 昨日の10円返せよ。
B: ほい。
A: 違う。あれは初恋のCちゃんに貰った世界に1つだけの10円玉……。
B: んなもん貸すな。
イーミックとエティックの小話。
A: 昨日の10円返せよ。
B: ほい。
A: 違う。あれは珍しい昭和33年のキザ十……。
B: そんなもん知るか。
タイプとトークンの小話。
A: 昨日の10円返せよ。
B: ほい。
A: 違う。あれは初恋のCちゃんに貰った世界に1つだけの10円玉……。
B: んなもん貸すな。
イーミックとエティックの小話。
A: 昨日の10円返せよ。
B: ほい。
A: 違う。あれは珍しい昭和33年のキザ十……。
B: そんなもん知るか。
N.Tsujimura先生講演会の感想。Google+の内容の実質的な再投稿。承前。
Tsujimura先生は動詞の新語「~る」の音韻テンプレートとして (C)V(C)V*r- (*はアクセント位置)というものを考えている。 最後の部分が r- ではなく、ru# なのではないのかが、前の投稿の話。今回は、前半の部分。
*ru# のようにアクセントの指定だけがあり、長さの制約がないのではないか。
僕自身の作例では、1拍でも可能である。 実際に採集できているものは、語幹部分が2拍以上であり、Tsujimura先生もビル・ゲイツに由来する「ビる」だけをあげる。 しかし、《仕事を進めずにギャーギャー騒いでばかりいる》の意味で「ギャる」を作れると思う。 短さに制限があるようにみえるのは、音韻の問題というより、 元の語が再現できないという機能的な問題なのではないだろうか。
さらにCVCV型のテンプレートというより、韻律的なものではないかと思う。それには母音の短縮が関係している。
アクセント位置の母音については、「コピー」から「コピる」になるように長母音の場合、短縮することが多い。 短縮しない場合は、音節を分けるとよくなる。ただし、実例は少ない。僕が拾えたものには人名に由来する「イトウる」がある。 アクセント位置以外の母音についても短縮しやすい。 「グーグル」から「ググる」が有名であるが、 「デニーズ」からの「デニーズる」「デニズる」「デニる」のようにいくつかの形が見つかるものもある。
アクセント位置の母音が短縮されるか、分割されるのは、 重い音節では左側の要素がアクセントを持ちやすいことが関係していると考えると説明できそうである。 OT的に言えば、 アクセント位置を変えてはいけないという制約や重い音節で左側にアクセントがあるという制約より 母音の長さを維持するという制約の序列が低ければよい。 そうすると、母音が短縮されるか、音節が分割される。
元の語が推定できるという制約の位置づけが難しいが、 重い音節がアクセントを持ちやすいという制約と組み合わせることで、 韻律的なテンプレートによって、前にある長母音が短縮されるということも説明ができるようになる。 前に長母音があると重い音節なので、アクセントがないと制約に違反する。 長母音維持の制約の序列が低ければ、短縮した方がよくなる。
そこでCVCV型というより韻律テンプレートの方がいいのではないかと思う。
N.Tsujimura先生講演会の感想。Google+の内容の実質的な再投稿。承前。
Tsujimura先生は、(C)V(C)V*r- というテンプレート (*はアクセント位置)を考えている。 派生接尾辞として-ru を想定しないことには賛成する。しかし、テンプレートは *ru という形をしていると考える。 前半部分は次回に譲り、今回は後半の ru について検討する。
末尾がラ行もしくはその長音で終わるものを調べた場合、比較的短い場合には、 ルのものはそれを活用語尾にするが、他のものは、そうでもない。
ルでは、「ドトール」から「ドトる」、「トラブル」から「トラブる」、「ダブル」から「ダブる」である。 ただし、「ドトールる」「トラブルる」「ダブルる」も拾えるが、総体的に頻度が小さい。
ほかのものでは、、 「フラー(ダンス)」から「フラる」、「田村(芸人)」から「タムラる」、「フォロー」から「フォロる」、 「きみまろ(芸人)」から「きみまろる」のようになる。 ただし、「コスプレ」に対しては「コスプレる」と「コスプる」「コスる」のように複数の形がある。 また、リの場合には、「キャリー」から「キャリる」、「青酸カリ」から「青酸カリる」がある一方で、 「マキャベリ」から「マキャベる」がある。
ルで終わるものが、最後のルを活用語尾化しやすく、他のラ行ではそうとは言いにくいので、 テンプレートが /-r-/ ではなく /-ru/ である可能性がある。
Google+に書いたものの書きなおし。 Indiana大学のN.Tsujimura先生の講演会の感想その1.元ネタは次のものだと思うが読んでいない。
その場でも質問したことであるが、「~る」の意味が文脈性 contextuality をもっているというのは、 一時語動詞 nonce verb 一般の性質で、構文 construction がもっているのではないのではないかという疑問をもった。 ただし、これは僕が Booij などの構文形態論 construction morphology に批判的なためかもしれない。
現代日本語で新語動詞として生産性があるのは「~る」と「~する」である。 この2つで有標なのは「~る」で意味(eventの構造やAktionsart)にも音韻にも条件がある。 一方、「~する」には目立つ条件がない。 そのため、コンビニエンスストアに行くことを意味させる場合でも、 「ファミマる」(< ファミリーマート)に対して、 「セブンする」(< セブンイレブン)になる。 「~る」の意味に文脈性があるのであれば、音韻的条件で代替になる「~する」も文脈性が必要になるはずである。
以下は僕による作例なので、許容しない人もいるかもしれない。
「~する」でも十分に文脈性があると思う。
こちらも僕の作例で、スペイン語の profesor "先生" から「プロフェソる」を作ってみる。
構文の側にあるとするならば、(1)と(1')の差で、これを「~る」の側に載せるのが理論としてきれいだと思う。 両側に載せない理由としては、次のような対も考えられる。ただし、(4)は通常の「にこにこする」とはアクセントが異なる。
一時語でかなり特定した文脈を入れれば、「~る」で言えることは「~する」でも言えるので、 「~る」のテンプレートに意味の文脈性を入れるのは好ましくない。