2013年7月8日月曜日

しばらく休む

統計をみるかぎり、referer spam 以外でアクセスしている人がいないようですが、 レポートの採点が一段落するまで、お休みします。

2013年7月5日金曜日

子山羊田と子豚田

分析は全くしていないのだけど、メモ。 山羊田くんと豚田さんの続き。

文脈を入れないと「山羊田」/ヤ*ギタ/、「豚田] /ブタダ/なのだが、 「子山羊田」/コヤギダ/ 〜 /コヤ*ギタ/、「子豚田」/コブタダ/ だ と思う。 「子山羊」が平板でも発音できるためだろうか。

2013年7月4日木曜日

構文という考え方が好きではない

構文文法 construction grammar が実は好きではない。 他の単語や文脈がなければ構文が決められないことがあるからである。

(1)a. うち豆を作るために、豆を薄く叩いた。
   b. 血色を良く見せようと、紅を薄く叩いた。
   c. 不機嫌だったので掲示板で、論客たちを薄く叩いた。

この中で、いわゆる結果構文なのは a. のみである。 「薄く叩く」という部分からは決められない。 どの構文に属するかが意味により決定するのであれば、 〈単語の意味からだけでは意味が分からない〉という理由で 構文の必要性が主張できるのだろうか。

2013年7月3日水曜日

文法判断と外界知識

いわゆる結果構文というものがある。 英語に比べると、日本語で使える範囲はせまい。 それは事実であるが、微妙な例については、 むしろ外界の知識に左右されているのではないかと思う。

(1)a. She painted the wall red.
   b. She hammered the metal flat.
(2)a. 彼女は壁を赤く塗った。
   b.?彼女は金属を平らに叩いた。

(2)b. の許容度が低いらしいのだが、 実をいえば、僕個人には違和感がない。 金属の特徴の 1つに展性(叩くとのびる)があるのは当然なので、 なぜ不自然という判断になっているのか例文を読むたびに思う。

形容動詞「平らだ」が結果になるような例はいろいろな動詞でみつかる。 とくに料理関係で拾える。

(3)a. 餅は丸く平らに潰した形で、両面に焼き色があり、...
   b. 大麦の外皮をむいて加熱し、ローラーで平らに押したものが「押し麦」。
   c. うち豆とは、平らに叩いた大豆のことです。

形容詞「薄い」が結果になるものもある。

(4)a. 初めに出てきたものは民族料理で、タイ米を乾燥させて薄く潰したもの...
   b. 左上にあるのはカワエビっぽいエビを薄く押したもの。
   c. 肉を薄く叩くのは、少ない油で調理する為でもある。

(3)(4)については、b や c を料理に関心がない人に判断させると、 「非文」と判断をするかもしれないかと思う。 僕自身も実際に用例があるかを確認して、 目的語つきのものを読むまで不自然な感じがしていた。

2013年7月2日火曜日

ヲ/デの交替

日本語において、格付与が変わるのは前項のように 「△に▽を」と「△を▽で」というものが多い。 それ以外の場合として 「△で▽を」と「△を▽で」の場合がある。

(1)a. 森高は、この曲でドラムを叩いた。
   b. 森高は、この曲をドラムで叩いた。

これは「で」の役割分担が広いことによる。 パラフレーズすれば、 a. では「〜において」(処格)、 b. では「〜を使って」(具格)になる。 このような例では、意味の違う構文が2種類あると考えるより、 役割で決まると考える方が簡明であろう。

対格が受動者と言えない例もある。

(2)a. 僕は、「座頭市」で勝新を観た。
   b. 僕は、「座頭市」を勝新で観た。

b.は文脈か外界知識が必要かもしれない。 「座頭市」が複数作られていて、主演俳優が違うものがあるという 知識がないと違和感がある可能性がある。

2013年7月1日月曜日

格付与と「いっぱい感」

Goldberg による構文文法 construction grammar が流行っている。 そこでよく出てくるものの 1つのは、次のような対での意味の差である。

(1)a. Mary loaded the hay onto the truck.
   b. Mary loaded the truck with (the) hay.

a. ではトラックがいっぱいとは限らず(ただし、干し草は全体)、 b. ではトラックがいっぱいということである。

日本語の似た例を考えてみた。

(2)a. マリは、棚にバラを飾った。
   b. マリは、棚をバラで飾った。
(3)a. Aちゃんは、話にホラを盛った。
   b. Aちゃんは、話をホラで盛った。

英語の例ほど「いっぱい感」はないようであるが、(2)(3) いずれも a より b の 方がバラや噂が多いと感じるはずである。 しかし、下の(4)では、動詞の意味から「いっぱい感」は変わりようがないはずだ。

(4)a. マリは、瓶に水を満たした。
   b. マリは、瓶を水で満たした。

「いっぱい感」や「全体感」が出てくるのは、むしろ 対格の付与が示す受動者(patient)という役割から出ているのだと思う。 例えば、(2)b では、 少量のバラでは棚が影響を受けた感じがしないということにすぎない。