2024年1月30日火曜日

微分のことは積分をもって (スラド日記 2016-12-18)

 森一刀斎 先生がどこかで、 「微分のことは微分でしよう」(「自分のことは自分でしよう」)、 「微分のことは積分をもって」(「自分のことは責任をもって」) と書いていたと思う。

それはさておき、http://togetter.com/li/1059561 のような話。 こういうのを読むと、 《高校の数学教育に問題があることのかなりの責任は、 大学の数学教育の失敗のせい(残りのかなりは文科省のせい)だろうが》みたいな気分になる。

dy=f'(x)dx のような書き方や、解析学の他分野への応用については、 数教協系の高校検定教科書、 「の」つきシリーズ(『高等学校の〜』ちくま学芸文庫で、指導書と合本で再刊)で やろうとして、 検定意見でポシャったむねが、 教科書ガイドに載っていたはずである。
;; 微分演算子にDを使うのは、通っていた気がするけど、 大昔なので自信がない。

解析学だと、19世紀半ばまでの雑な展開から ヴァイアーシュトラウスなどが厳密化をしてという流れがある。 雑な時代だと dy = …… のようなのは書きやすかったんだけど、 厳密化の輸入と中途半端な美意識がドッキングしたのか、 国会図書館のデジタルライブラリーだと、 1910年代のものから、dy/dx のみで、dy = …… と書かないものが、 増えているようだ。

dy = f'(x)dx の形での展開を 超準でなくて、 標準できちんとやろうとすると、 ただでさえ学生に苦手意識のある関数に加えて、 不等式、絶対値、概数と嫌われているものが天こ盛りで、大変。 とはいえ、大学の理系では教えているはずである (そうも言えないのは他大の実践例から知っているけど)。

それにもかかわらず、 高校数学がずっと前からの受験数学の再生産になっているのは、 どういうことよ、と受験産業にいたころから、 ものすごく不満。

数学における文脈と文化への依存 (スラド日記 2016-12-27)

 例の 3.9+5.1 だけど、2つに問題を分けて理解して欲しい。

  1. 普通の等号と誤差があるときの等号は別ものなので、 〈=〉の意味は文脈依存。 意味が違うので、ごっちゃにしないこと。
  2. 普通の等号を使うときに計算しろと言われたら、 「一番簡単」にするのが「マナー」だけど、 何か簡単か、どこまで許容範囲なのは、実は明確な根拠がない。

前段について。

有効数字って、測定値から出てきて、 それが影響しているものだけにある。 つまり、この問題、そもそも有効数字なんて無関係。

有効数字や誤差ありの算術での「等号」を別のに 例えば〈≈〉にしとけば、よかったのに。 ぶつぶつ。 有効数字のような中途半端なものから教えるのは止めて、 誤差範囲から教育しようよ。

後段について。

前段を理解してもらえれば、 単なる表現の問題で、 筋的には 18/2 や 9/1 でもオッケーにするのかという話と同じだと 分かるはず。 なんだけど、18/2や9/1に△つけて、9.0に○つけたい奴が出る。 それはそれでいいけど、 その境界線に主観的でない根拠はあるの? 整数と小数を無意識にひいきしていない?

こういうのって簡単すぎて、 感覚で反発するような奴が出てくるから、 問題を難しくしておく。

例えば、x>0でx^2=2 の解は何? これについて「2乗すると2になる正数」と答えられたとき、 どうよ。これって本質的には√2と同じだけど、 前者でも○をつける? 前者が何もしていないので×なら後者はどう? この差って「空気」じゃないか。 ついでだけど、 x-1=1/{2+(x-1)} から x = 1+1/(2+1/(2+...))=[1; 2, 2, ...] って連分数表示だとどうよ。 分数に比べて「√2が簡単」というのは、 代数的数をひいきする「文化」に「毒された」主観じゃん。

和算用語って何を調べればいいんだろう (スラド日記 2017-01-14)

 橋爪 松園 (編). 1871. 『英算独学』 東京: 雁金屋清吉. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826594/41?viewMode=

明治の頭まで来ると、算数に動員されたのが和算の人たちなので、 用語が変わる。

旧漢字を新漢字に、旧仮名カタカナを新仮名ひらがなに。 「、。」は補った。

乗法は俗に云う掛算にして数を倍する法なり。 又、此の倍したる数を積と云う。 又、乗する数に大小ありて其大数を乗実と称し、 其小数を乗法と称す。 且つ此大小の総称を因数と云う。 又、乗算の記号に於ては英国常に×符を用ゆ。

前の時代に教育を受けた人たちが、教員をやるので、 建前の文書を読んでいるだけでは、 教育現場を絶対に誤解するわけやんか。

和算+西洋初級算術のごちゃが出発点で、 これを整理しようとしていた人たちに いろんな人がいるのをイメージしないと。

矯正と教育 (スラド日記 2017-08-08)

 ;; 気分が乗らないので、半分ヨタ。

伝統的な箸の持ち方はマナーの問題にされやすいが、 むしろ進化論的方法で最適化された、箸での作業のしやすい持ち方だと 考えた方がいいのだと思う。

箸の持ち方が「変」な人も多い。 困ったことに、箸はどう持つといいかを明確にはアフォードしてくれないことだ。 そのせいで「小さな山」を登ってしまったのが「変」な持ち方をしている人と 考えられる。

最適解に近くするには「小さな山」の近傍からズレないといけない。 そうするために、 指の位置をえぐることでアフォードする 三点支持箸という製品がある。 「ダメ」な持ち方になじんでいると、 最初のうちは筋肉がちゃんと動かないが、 1週間ぐらいで、なんとかなる(らしい)。

不思議なことに、これを使っていると、 普通の箸でも「正しい」持ち方をするようになる (と通販サイトのコメント欄にはある)。 「小さな山」より最適解の方が楽だし、 アフォーダンスも分かるようになったからだろう。

ただ、こういうのが機能するのって、 矯正した方がずっといい場合。 最初の「小さな山」を降りることを拒否する人もそれなりにいるし。

板書の色づかい (スラド日記 2017-09-15)

 ちょっとびっくりしたまとめ:

昔の小学校に「赤色や緑色のチョークで文字を書くな、使うのは白か黄色」というルールがあった理由 https://togetter.com/li/1150741

「ユニバーサルデザイン」「インクルーシブ」のような用語が教育関係でも、 よく使われるようになっていきたのに、 逆に色覚の問題が忘れ去られているのか。

チョーク芸人だったころ、 板書での色の使い方は小中教師向けの本で読んだ記憶がある。 現場であまり教えてくれないのなら、 研究室の教育実習用棚に板書 の本を探して置いておかないと。

僕の使い方は:

  • 黒板: 白 -- 文字、黄 -- 重要(下線・枠など線)、朱 -- 注意(下線・枠など線)
  • 白板: 黒 -- 文字、青 -- 重要(下線・枠など線)、赤 -- 注意(下線・枠など線)

他の色は原則として使わないように努力。 ただ、ややこしい話を図に描くときには、もう1色、欲しくなるけど。

プレゼンソフト使うときは、 時間が足りないせいもあるけど、 だいたい白黒。 白地に黒文字、重要は太字、注意は※や×で補うぐらい。

あ、ぼつぼつ学生にプレゼンさせる時期なので、 教室持ち込みの方の iPad mini に色シミュレーションアプリを入れておかないと。

昭和初の教員向け本 (スラド日記 2019-05-30)

 

このちょい前に黒表紙(藤沢の作った算数の教科書)の3次改定。 塩野直道が主導した。

立式と九九の対応が問題。上の pp.188-189:

(1) 九九の呼声

算術書の総九九に於ては、 常に「乗数」「被乗数」「積」の順序に九九を唱える。例えば

4銭×2 = 8銭 ………… 二・四 8
2銭×4 = 8銭 ………… 四・二 8
5×3 = 15 ……………… 三・五 15
3×5 = 15 ……………… 五・三 15

の如く、其の呼声の合理的ならしめて居る。然るに一部総九九主張者の中には、

4銭×2 = 8銭 ………… 四・二 8
2銭×4 = 8銭 ………… 二・四 8
5×3 = 15 ……………… 五・三 15
3×5 = 15 ……………… 三・五 15

の如く、常に「被乗数」「乗数」「積」の順序に唱え、 之を以て順九九に比し合理的であると称して居った。 而し之は文部省のとは正反対の呼声である。

以上は「乗数」「被乗数」に依って其の呼声も決定し、 乗法と九九とを合理的に結合しようとしている。

古い立場の説明、p.189:

更に順九九に於ては

4銭×2 = 8銭 ………… 二・四 8
2銭×4 = 8銭 ………… 二・四 8
5×3 = 15 ……………… 三・五 15
3×5 = 15 ……………… 三・五 15

呼声は「被乗数」「乗数」の中、数の小さな法を先に呼び、 乗法から抽象され器械化されたものであっても乗法とは全く別なものである。 総九九が何れも呼声八十一箇あるのに反して、 順九九に於ては四十五箇の呼声で足りて居る。 而して呼声は三・五15でも 5×3 と 3 × 5 とは同一とは考えなく、 乗法に於ては乗数、被乗数を明瞭に区別する。

文部省の立場というのは修正趣意書。本当はこれを拾ってくるべきだけど、 めんどうなので、下から。pp.191-192:

私の考えを述べるに先だって文部省編纂の修正趣意書の中から、 総九九校正についての部分を抜粋すれば次の如くである。

総九九を唱うるに当り、被乗数と乗数とは何れを先に唱うべきかを実地教授者につきて検せるに、 一定され居らざるが如し。 例えば「二三6」とは「2の3倍は6なり」という意とすべきか、 或は「3の2倍は6なり」という意とすべきか。 本教科書に於ては之を「3の2倍は6なり」との意とし 即ち乗数・被乗数・積の順序に於て九九を唱うることとせり。 3×2=6なる式は「3ノ2倍は6なり」という意なるを以て、 式に於ける順序よりいうも、 又思考上の順序よりいふも、九九を唱えるに被乗数・乗数・積の順序に唱うるを適当とするが如く見ゆれど、 2の掛算九九とは乗数2なる場合の九九なりと見るを正当なりとし、 斯かる見地よりして本書に於ては九九を唱うるには乗数・被乗数・積の順序を以て呼ぶこととしたり。 且斯く定むるときは筆算の乗法に於ても甚だ便利にして、其の場合に乗数を脳裏に記憶し思けば、 被乗数の各桁の数字を見つつ其の乗数の掛算九九を用いて計算を行い得べく、 又筆算の除法に於ても常に法を冒頭に置く掛算九九を用うるを以て商を書き誤る憂なし。

なお、下の著者は、文部省の立場に反対で (p.193):

…… この見地より見て現今多くの算術教育者は、

「掛算九九の構成は累加法により被乗数先唱とする。」

と云う様に一致している様である。

…… 即ち累加に依って九九を構成して行く方が便利であると信ずるので、 唱え方にしても被乗数・乗数・積の順序に唱えて行った方が便利である。

ICMI Study の解説論文 (スラド日記 2020-01-08)

 

中国と米国での算数教育の違いが、 中国側が19世紀の欧米の算術教育の流れによるせいと説明した上で、 19世紀の体系を説明している。 何度も書いているけど、日本もそっちの流れの中にある。

18.7.1.2 の The Rule of Like Numbers of Multiplication のところが、 いわゆるサンドイッチの説明。