森一刀斎 先生がどこかで、 「微分のことは微分でしよう」(「自分のことは自分でしよう」)、 「微分のことは積分をもって」(「自分のことは責任をもって」) と書いていたと思う。
それはさておき、http://togetter.com/li/1059561 のような話。 こういうのを読むと、 《高校の数学教育に問題があることのかなりの責任は、 大学の数学教育の失敗のせい(残りのかなりは文科省のせい)だろうが》みたいな気分になる。
dy=f'(x)dx のような書き方や、解析学の他分野への応用については、 数教協系の高校検定教科書、 「の」つきシリーズ(『高等学校の〜』ちくま学芸文庫で、指導書と合本で再刊)で やろうとして、 検定意見でポシャったむねが、 教科書ガイドに載っていたはずである。
;; 微分演算子にDを使うのは、通っていた気がするけど、 大昔なので自信がない。
解析学だと、19世紀半ばまでの雑な展開から ヴァイアーシュトラウスなどが厳密化をしてという流れがある。 雑な時代だと dy = …… のようなのは書きやすかったんだけど、 厳密化の輸入と中途半端な美意識がドッキングしたのか、 国会図書館のデジタルライブラリーだと、 1910年代のものから、dy/dx のみで、dy = …… と書かないものが、 増えているようだ。
dy = f'(x)dx の形での展開を 超準でなくて、 標準できちんとやろうとすると、 ただでさえ学生に苦手意識のある関数に加えて、 不等式、絶対値、概数と嫌われているものが天こ盛りで、大変。 とはいえ、大学の理系では教えているはずである (そうも言えないのは他大の実践例から知っているけど)。
それにもかかわらず、 高校数学がずっと前からの受験数学の再生産になっているのは、 どういうことよ、と受験産業にいたころから、 ものすごく不満。
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