というより 「ノーマル・サイエンティストに反証主義が大切な理由」 について考えたメモ。
ここでは理論を、 対象レベルの仮説(以下、雑魚仮説)と パラダイムのあり方を決めるメタレベルの仮説(以下、ボス仮説)の 二種類の仮説がある体系と考える。 例えば、 言語学の最適性理論では、 制約は破られうる、制約には序列がある、 という2つのものがボス仮説で、 他は雑魚仮説である。
我々ノーマル・サイエンティスト(以下、雑魚キャラ)がやっているのは、 雑魚仮説を反証し、 ボス仮説に従うよりよい雑魚仮説を提案することである。 これにより理論を改善し続けている。 雑魚キャラにとって、 反証主義とは、 パラダイムを強化するためのものであり、 パラダイムを乗り越えるためのものではない。
ボス仮説の反証は仕組み上、難しい。 雑魚仮説の修正で補うことができることが多いからである。 新しいパラダイムは、 反証によるのではないと思う。 無理に修正した雑魚仮説のスパゲッティに 嫌気が差して単純化しようとして出てきていた気がする。
ところで、 ボス仮説が反証されたとしても、 すぐにかわるパラダイムが出てくる訳ではない。 その間、 雑魚キャラは、 どこに上手く行かないものがあるのか意識しつつ旧理論の枠組みで 研究を続けるしかない。 また、すべきである。 いずれ新理論が出てきたときは、 理論的に共約不可能であったとしても、 旧理論に制限を加えることで、 近似的には共約可能なサブシステムになるはずだからである。 例えば、 特殊相対性理論とニュートン力学は共約不可能であるが、 後者は前者の、速度が小さいときの近似理論になっている。
このような場合、 新理論が出てきた時点で、 我ら雑魚キャラは、近似理論をやっていると言えばいいだけである。 やることを変えていなくても、 意識を変えたんだと言えばいい。 そして、 反証されたのは旧理論の雑魚仮説ではなく、 対応する、新理論の雑魚仮説ということになる。
だから、我ら雑魚キャラは、反証主義でやっていく。 たとえ根本が反証されたって、 それを避けながら元のパラダイムの中が反証主義で仕事する。
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