2024年1月28日日曜日

単称言明の反証 (スラド日記 2012-02-20)

 ;; 書類が書けないので、逃避……。

週末読んだ本に、 ポパーが歴史科学について 〈個別事象の記述が、テスト可能な予測を導くなら反証可能である〉 と言っているところを引いて、 これが厳しすぎると主張しているものがあった。 というのも〈導かれる予測が繰り返しテスト可能という条件だから〉 だそうだけど、それは変だ。 建前上、反証は反例 1個でいい。 反復可能である必要があるのは、あくまでも観測であって、事象ではない。 単称言明の反証が「事実上」難しいというのであれば、 比較言語学の教科書が存在しえない。

通常、反証するのは、 ∀x[P(x)⇒Q(x)], P(a) |= Q(a) という三段論法、 P(a) という観察、not Q(a) という観察の三者による。 2つの観察が確かなときに、法則が反証されることになる。 実際には、自分がした観察 not Q(a) の確からしさを調べなおし、 先行研究の観察 P(a) の確からしさを調べなおして、 ようやく反証できる。 ここで「確からしさ」は、観察の再現性に大きく寄る。 もちろん、P(b), not Q(b); P(c), not Q(c) というようなものが 見付かると嬉しいが、それは反証の話ではなく、 not ∀x[P(x)⇒Q(x)] つまり、∃x[P(x) and not Q(x)] の実証の話だ。

個別事象の記述、つまり単称言明を反証する場合も上と変わらないが、 ∀x[P(x)⇒Q(x)] という法則の確からしさと、 not Q(a) という観察の確からしさによる。 法則の確からしさは、別のところによることになる。

この辺で理論負荷がどうとか言いたい人もいるかもしれないけど、 ポパーが一部を負うている、20世紀あたまの規約主義で、 理論の恣意性の問題として、その辺は議論ずみである。

どちらの反証の場合でも、条件つきだというのは、同じような話だ。 実際に研究するときには、確からしさには、けっこう差があるので、 法則と事象のどちらを反証するのか悩むことは、ほとんどない。 哲学的にはやっかいであるとしても。

もし、どうしても全称言明にして反証したいというのであれば、 ∀x[P(x)⇒ ∀y[Q(x, y)]] という確かな法則を探すことになる。 おのぞみの ∀y[Q(a, y)] という全称言明が得られる。

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