2024年1月28日日曜日

書かせる試験は階層の固定に寄与するだろう (スラド日記 2016-02-26)

 B. Bernstein が言語コード論で、 労働者階級の子どもが、主観的に文脈依存的に語る制限コードのみを獲得するのに対して、 中産階級の子どもが、制限コードに加えて、客観的に文脈非依存に語る精密コードも獲得する、そういう傾向があることを示そうとした。 これが正しければ、 学校という精密コードが求められる場で、 制限コードのみをもつ労働者階級の子どもは、 大きなハンディキャップを負わされている。

とはいえW. Labovは、 「黒人英語」の研究を通して、 「制限コード」のようなものを使っていても、 思考能力と豊かな表現力があることを示している。

なのだけど、 また「制限コード」で語られるテキストは「精密コード」を知るものが読めば、 非論理的に見えてしまう。

そして、こういうテキスト/談話の構成のしかたの差違に加えて、 社会方言に対するステレオタイプは、厳然としてある。

ということで、書かせる試験は、結局のところ、 中産階級(以上)の中産階級(以上)による中産階級(以上)のための 試験になりかねない。 ぶっちゃけ、それで階級構造を維持してきたのが、 フランスという試験大国なわけだ。 労働者階級の子どもも、 それに加わっていく移民の子どもも、メインストリームから排除されていく。

とはいっても、突然変異的天才が試験に勝ち残ることがないわけではないし、 それなりの数の秀才の家系が、 親・義務教育 ⇒子・師範学校(小学校教師養成) ⇒孫・大学校(エリート)・大学(それなり) のように数世代かけて上昇することもあったんだけどね。

;; 面接などで、人物をみるのは、こういうのが、 よりひどい形で反映されるからね。 中産階級の文化に触れることがない労働者階級の子どもは、 学校内なら触れられるブチブル家系の子どもに対して不利だし、 プチブル家系の子どもも、 家庭内に文化がある中産階級の子どもたちに対して不利になる。

;; そのうえ金があれば、今や、AO向けの塾で「体験」や「いい話」は いくらでも買える。

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