とりとめのないメモ。僕は教室外でやる気はない。 というより、あれ、場合によっては SAN値がガリガリ削られるので無理……。
(1) 普通のコミュニケーションでは、感情で要約が行なわれる:
例えば「怒りの告発」とか「お母さんたちの気持ちを考えたことがあるのか」とか。 全く内容の真偽には関係がないはずだけど、なぜか重要視される。 発信するときも、実は感情を載せた方が伝わるようだ。
(2) オーディエンス・デザイン:
2種類の聞き手を考えなければならない。対話者と傍観者である。 対話者を説得するのは、多分無理。 どうしても目的は傍観者に科学的に考えてもらうことになる。 ただし、あくまでも対話者に対して誠実に対話しなければ、その実現が難しいだろう。
(3) 認知的不協和:
対話者は、認知的不協和の状態にあり、 それを低減するために、とても歪んだ認知を作り出している。 例えば、一目で分かるような誤りを何人かが指摘すると、 批判者の背後に組織があって、その指示なのだと思い込む。 誤りを認めることが、対話者の尊厳を傷付けることになると無意識に判断をしているので、 どれだけ矛盾や現実とのズレを指摘しても、認めることはないだろう。
認知行動療法が参考になるかもしれない。 また、誤りを指摘するときでも、対話者が誤っているというのではなく、 対話者の言ったこと、やったことを誤りと言うべきだろう。
(4) 社会性による認知バイアス:
ヒトは社会性動物で群で生活してきた。同じ群は味方で、同種の別の群は敵になる。 そして、それと善悪を重ねやすい。 対話者は、 自分たちは善であり、善の実現のために小さな悪をしても、 それは善のためなので何も問題はないと考える。 一方、科学の側を、善である自分たちの敵であるので 「悪」「悪意」というラベリングをする。 対策としては……。 とりあえず敵ではないことをノンバーバルな態度で示すこと。 それから、 善意で何かをしていることは認めながら、それが悲しいことに問題を起していると うったえること。なんだろうか。
(5)何をどう認識させるべきなのだろうか。
(5a) 全体像
対話者の不可思議な理論は、本来考慮しなければならないことを無視して、 別のことを結びつけてしまっているからかもしれない。 どこからどこまでを考慮しなければならないのかを示す必要があるだろう。
(5b) 実感できる生の素材
何の予備知識もない人には教えることができない。 困ったことに対話者の知識がそのレベルである可能性がある。 生の素材で、対話者の認知システムの中に知識を入れる場所を作らなければならない かもしれない。
(5c) 矛盾を目に見えるようにする図式
矛盾していることを 1つずついくら付きつけても認知しえないので、 何と何が矛盾しているのかを、同時に提示する必要がある。 たぶん、捏造だととか、そういう意味じゃないとか言われるけど。
(5d) 操作可能なモデル
対話者の提唱する仕組みよりも、 きちんと現実と対応するモデルを提示しなければならない。 難しいのは、これを科学内部で使われるものをそのまま提示しても理解してもらえない ことだ。比喩などを使わなければならないだろう。
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