教育関係者がときどき持ってる強迫概念の一つが 「知る=分かる=出来る」というモノだと思う。 これを看破したのは、板倉先生@仮説研 (いいリンク知らないから仮説社http://www.kasetu.co.jp/)だったはず。 この強迫概念と「教師が全部説明しなければならない」という強迫概念が相俟って、 真面目タイプの教師と生徒を不幸にしていると思う。
「知る」「分かる」「出来る」の別を 大学初級の数学で例を出しとくと、 「実数の完備性」は知ってればいいことで、 「4次以上の行列式」は出来なくても分かってればいいこと、 「変数分離形の微分方程式の解法」は分からなくても出来ればいいこと、 って具合である。
「知る」だけでいいのなら「これ読んどいて」でいいのだと 開き直っていいじゃないか、と思う。 教科書以外を読むのも勉強だし、 それも楽しいんだと知ってくれればいい。
「分かる」はちょいと置いといて、 「出来る」が問題なのだと思う。 「出来る」ようになるには「やってみる」が前提にある。 「やってみる」うちに 勘をつかんで「分かなくても出来る」ようになったりしていたのだが、 その「やってみる」をなかなかしてくれなくなってきている。 その前に「分かる」を求める生徒が増えてきている。
これ自体は良いことのように聞こえるが、 生徒の「分かる」が「納得」で、 教師の「分かる」が「理解」と異なるものだったりする。 これが教師と生徒の関係の傷口を拡げていく。 対人関係で「納得」の度合いが変るんで、 ボクたち「変なヒト」にはこれが響いてくる。
で、まあ、人間関係苦手な身としては、 多少反発あってもしようがないやと開き直りつつ、 この説明は研究した身としては許せんと思いつつ、 なんとなくそれっぽいのを使うしかないと思うんだな。 例に出して悪いかもしれないけど、 英語記号付けhttp://www1.gifu-u.ac.jp/~terasima/なんかいい感じ。
# だめだ。こんなの書いても眠気がとれない。 未明の電話って一日響く。 家帰って、仮眠してから明日の準備しよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿