2024年1月28日日曜日

えらい先生たちはパッパと改版してください (スラド日記 2010-10-05)

 言語相対論についての、雪のデマと虹のデマが消えると、 多くの言語学者が幸せになると思う。 新書とか教科書とか、売れていないのはしようがないけど、 ある程度売れているものは、随時、改版してくれるといいんだけどなあ。*sigh*

とりあえず、虹デマについて愚痴っておく。

文化圏ごとに虹の色の数は違っている。 ここまでは事実。 〈言語ごとの色をあらわす単語が世界を分節しているからだ〉 というのが嘘。
;; しかも説明にソシュールもってくるの止めてくれないかなあ。 先入観抜きにして読めば、ソシュールが認識について、ほとんど書いてないのが分かるはずだけど。

まず、色を表す単語の意味は、典型的な典型 (prototype) によるものなので、 分けてなんかいない。 その上、どの言語でも基本色と、それ以外の色がある。 基本色が弱く認識に影響がある可能性があることはあるのだけど、 基本色以外は多分ない。それにも能動的語彙と受動的語彙があって、 受動的語彙なら、なおさらだ。 例えば、「はなだ色」というのを調べてみてくれ。新しく語彙になった。 世界は変わって見えたか。そんなことはないはずだ。

しかも、色の場合は、色相のほかにも明度や彩度が関係していて、虹で見えるものは、 典型ではなかったりする。 実際に観察してみれば分かるけど、色がなだらかに変わっていって、数なんか数えられない。 だいたい「藍色」なんか普通の人は使わないし、 それが虹のどの部分か示すことができる人もほとんどいない。

実は、虹の色の数は教育によるもので、個別に観察した結果ではない。 だから、語呂合わせで覚えなければならない。 6色か7色かについては、科学史と理科教育の専門家の板倉先生が小学生でも 理解できる形でまとめてくれている。

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