デカルトは『方法序説』の第二部でそう言っているわけである。 以下、超訳的要約:
- 疑えないもの以外は、真とはみなさない。(「明証」と言われてるけど、「懐疑」の方がいいと思う)
- 難点のそれぞれを、分けられるだけ多くの小さな塊に分ける。(「分析」)
- 単純な対象から始めて、自然では順序がない場合でも順序づけして、 複雑な構成物にいたる。(「綜合」)
- 全部数えあげて、抜けがないか見直す。(「列挙」)
デカルトはエヘンという感じで書いているけど、今では当然なことだよね。 で、これが近代科学の「悪癖」である「要素還元主義」の出発点とされている。
僕も生計にせまられて全体論的アプローチが云々とか書くことはあるけど、 それは教育についてのこと。 例えばの話。 言語学では、 原理・原則から計算して言える言えないを判断して、 原理・原則の正しさをデータで確認するのがお仕事。 他方、実用語学だと、言える言えないを瞬時で勘で判断できないといけない。 それには、あの手この手で、いろんなことを楽しく叩き込まないといけない。 そうすると、できるようになるけど、実は分かってるわけではないよね。
で、なんだけど。
全体論的アプローチが胡散臭い感じで嫌だなあ、と。 まともじゃないものは電波入っているし (というより「ホーリズム」でググると、なんだこれはと……)。 比較的まともなものを読んでみると、システム論ですむ話としか思えない。 アリストテレスの「全体は、部分の総和以上のものである」 ですむ話も多い気がする。 あとは、システムに冗長性があるとか、 動的なシステムではフィードバックで恒常性がとか、 そういうなんか、 サイバネティクスで散々やった話と同じようにしか読めない……。
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