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2015年4月29日水曜日

場所を表す「で」と「に」の対

場所の格助詞「に」「で」の 使い分けについて、 考えているがまとまっていない。

杉村(2002) や 菅井(1997) による、 「で」が背景として 「前景的な主格成分や対格成分を包含する空間領域を示す」 というのは方向性としては正しいと思う。 ただ、項ではなく、イベント自体ではないだろうか。

次の例では、場所を絞ることで、「に」から「で」に変わる。

  1. 家に蛸焼セットがあるの?
  2. 大阪の家では台所にあるよ。

次の例では「ブランコがあった」だけでは情報が不足な感じがするが、 「イベントがあった」だけでも不足な感じがしない。

  1. 公園にブランコがあった。
  2. 公園でイベントがあった。

状態では位置を示すのが求められているのに対して、 動的なイベントについては位置は背景化しなければならないようだ。

  1. 公園に丸太がごろごろと転がっている。
  2. 公園で子供がごろごろと転がっている。
  1. (ドキュメンタリー番組で)先人たちは里山に暮してきた。
  2. (サスペンス番組で)逃亡者たちは里山で暮してきた。

次の例も同じように考えられそうだが、うまく説明できない。

  1. (家賃が上がると聞いて)もうこの部屋に住めないよ。
  2. (同居人と喧嘩して)もうこの部屋で住めないよ。

2014年9月23日火曜日

母語話者の「語感」とコーパス

強意語 very と really の使い分けについての 学習者向け記事があった。 その中では very を客観的、 really を主観的としている。

この主張自体には、とやかく言う気はない。 母語話者がそう思うことは貴重なデータである。 ただし、それが現実を反映しているかは別であり、 確認する必要がある。

really と very で主観性に差があるとすれば、 形容詞によって、really と very のオッズ比が変わるはずである。 例によって手抜きで Google Books コーパスを 使って確認しよう。 hungry と busy では hungry の方が主観性が高いので、 really に偏るはずである。 下のグラフの青線と赤線は、 be 動詞現在形一人称 am の省略形 'm の後でのそれぞれ hungry と busy のオッズ比の 変化である。 これを見れば、確かに主観的な hungry の方が近年は高く出ている。

ところで、主観性が高いはずの hungry でも、 緑線のように am のままであれば、圧倒的に very に偏る。 これは何を意味しているのであろうか。 really と very の選択のかなり大きな部分が、口語であるか否かによると考えるのが無難であろう。

実は、同様の傾向が awfully について 1910年ごろにも見られる。

これらのグラフから考えるに、むしろ very と really のちがいは、 very が無標の強意語であるのに対して、 really が近年の口語で流行の強意語であることを示しているのではないだろうか。 まだ強意ができる形容詞が広まりつつある段階で、 強意されやすさが主観性に関係しているのではないかと思う。

2013年11月20日水曜日

接頭辞の re- (2)

英語の接頭辞 re- についての続きである。

re-present が分かり易いと思う。 この re- /ri:/ は、reprsent の re- /rE/ と発音も意味も異なる。 後者の方はフランス語からの借用で、英語として意味を考えられるかは疑問である。

次のような例をネットやOEDから拾うことができる。

  1. Such a table lets us survey the role in the development of the story by different characters, as they are presented and re-presented in each phase in turn.
    ("re-present v.2" in OED)
  2. f you're not appropriately dressed, girls have difficulty wanting to kiss you. Basic 'School Outfit' works fine, I gave a girl a flower, got in kisses if I needed to, then left the area and re-presented them with flowers until I ran out, then repeated.
    (http://www.gamefaqs.com/boards/942199-bully-scholarship-edition/42518177)
  3. If [Coetzee] had stayed in the U.S. then his oeuvre may have been quite different, and possibly it is the forced return that re-presented him with the richness of South African society that was to feed the writing.
    (http://quarterlyconversation.com/j-m-coetzee-a-life-in-writing-by-j-c-kannemeyer)

(1)が繰り返し、(2)が相互、(3)が回復のような意味になる。 これらすべてに共通して次のような図式が考えられるだろう。 実際の動詞が意味するのは「⇒」の部分である。

(→)A(→)B⇒A

最初の括弧内の矢印が「活性化」すると(1)の繰り返し、 二番目の括弧内の矢印が「活性化」すると(2)の相互、 いずれも活性化しないと(3)の回復の意味になる。

むしろ重要なのはAに戻るというところだと考える。 ただし、やっかいなのは、A が項のときもあれば、 状態のときもあることだと思う。 状態のときには re- がアスペクトのマーカーになる。 フランス語の場合、これが拡大していると考えている。

2013年6月3日月曜日

初めての「ふたたび」

「ふたたび」は『新明解』(第7版)で "同じ事がもう一度繰り返される様子" と定義されているが、繰り返しがない場合でも使うことができる。 例えば、次のようにである

ヨーロッパは、経済危機によりふたたび 分裂しようとしている。

動詞が有界(telic)で、終了すると状態が変わる場合に使える。 結果としてなるような状態から始め、そうでなくなり、またそうなる ときに使える。 上の例では、分裂した結果と同じように分かれているところから始まるので、 使える。 「登る」のような場合でも、そういう文脈を入れれば使える。

Aさんは○○山で生まれ、下界を知らずに育った。 大人になり、山を下ったが、平野の生活にすっかり飽いた。 そして、彼はふたたび ○○山に登った。