2015年6月17日水曜日

副詞接尾辞 -ly でのアクセント移動

英語で形容詞を副詞にする接尾辞 -ly は、 ふつう付加されてもアクセント位置を変えない。 例えば、compArative に対して、 compAratively のようにである。

しかし、-ary, -ory で終る形容詞に付くばあいには、 アクセントが -Arily, -Orily のように移ることがある。 例えば、prImary に対して、primArily のようにである。 これはアメリカの発音のようである。

これは Ordinary から ordinArily のようにアクセント位置が離れている ときの起こりやすい。 このようなばあいでは、-ary, -ory の母音が ə になっていない。 一方、 provIsory, satisfActory, exEmplary のようにアクセント位置が近いと 起こりにくいようだ。 このようなばあいでは、-ary, -ory の母音が ə になっている。

ただし、elemEntary から elementArily のように -mentary のときには、 起きている。

2015年5月18日月曜日

接続詞としての「なので」と「だから」

接続詞としての「なので」は、 まだ載っている国語辞典が少ない。 載っていても属する文体が口語である旨の だだし書きがある(『三省堂国語辞典』第7版)。 検索エンジンは約物を無視するし、 Google Books で縦書きのものが行が逆になっているので、 探しにくい。用例は Google Books で探してもあまりみつからない。

電話に出なかった。なので、翌日にまたかけた。 (城崎玲『美樹へ』文芸社、1999, p.124.)

いっぽう「だから」は、記載があり、 文体についてのだだし書きもないようである。 『日国』の例は 19世紀半ばに遡る。

滑稽本・七偏人〔1857〜63〕五・下「洗湯(おぶう)へはいって帰て来ると、忽地腹はへっこりサ。然(ダ)から先熱盛にして十三盃と遣らかしたが」

助動詞「だ」の連体形+助詞「ので」の再分析による「なので」と、 助動詞「だ」の終止形+助詞「から」の再分析による「だから」は、 同じような変化の結果である。 しかし、 「だから」は規範になっているが、 「なので」はまだ公式なところでは許容度が低いという判断らしい。 しかし、 公的な場面でも「なので」はみつかる。

国会議事録検索システムは約物も検索してくれる。

要は、裁判官であっても裁判員であっても、過去にさかのぼって何が起きたかを見ることはできません。なので、裁判官であっても裁判員であっても、よく言われる、証拠と法だけに基づいて裁くのであると。 [第189回国会 法務委員会 第11号 平成二十七年四月二十四日(金曜日)]

2010年5月12日から2015年5月12日まででは、 「。だから」は2625件、「。なので」は395件である。 50年前の1960年5月12日から1965年5月12日まででは、 5386件、「。なので」は0件なので、比較的最近に増えてきたようである。

2015年4月29日水曜日

場所を表す「で」と「に」の対

場所の格助詞「に」「で」の 使い分けについて、 考えているがまとまっていない。

杉村(2002)菅井(1997) による、 「で」が背景として 「前景的な主格成分や対格成分を包含する空間領域を示す」 というのは方向性としては正しいと思う。 ただ、項ではなく、イベント自体ではないだろうか。

次の例では、場所を絞ることで、「に」から「で」に変わる。

  1. 蛸焼セットがあるの?
  2. 大阪の家は台所にあるよ。

次の例では「ブランコがあった」だけでは情報が不足な感じがするが、 「イベントがあった」だけでも不足な感じがしない。

  1. 公園ブランコがあった。
  2. 公園イベントがあった。

状態では位置を示すのが求められているのに対して、 動的なイベントについては位置は背景化しなければならないようだ。

  1. 公園丸太がごろごろと転がっている。
  2. 公園子供がごろごろと転がっている。
  1. (ドキュメンタリー番組で)先人たちは里山に暮してきた。
  2. (サスペンス番組で)逃亡者たちは里山で暮してきた。

次の例も同じように考えられそうだが、うまく説明できない。

  1. (家賃が上がると聞いて)もうこの部屋に住めないよ。
  2. (同居人と喧嘩して)もうこの部屋で住めないよ。

2015年3月25日水曜日

金田一第4種動詞は主観的なのか

金田一春彦先生による動詞分類の第4種「形状動詞」 つまり動詞でありながら状態を意味し、ふつう「ている」を ともなうものについて、 主観性が指摘されている。 例えば、古賀恵介先生は次のように書いている

つまり、対象の特性を捉えるということの裏には、様々な考慮を経ながらその判断に至るという話し手の認識の“動き”が存在するのである。ただ、「高い」とか「優秀だ」などの形容詞で表現された場合には、その主観的動きが表には出てこない。ところが、日本語は、その主観的動きを純粋に投影させて表現する動詞を発達させた。それが、金田一が第四種動詞と呼んだ一群の動詞なのである。

しかし、私にはこれが疑問である。 主な理由は、 形容詞(形容動詞)であれば誰の主観であるかを示しやすいのに対して、 形状動詞ではそれが難しくなるからである。

準備のために、 感覚の「ベトベトする」を使った次の会話を考えてみる。 感覚では動詞を使っても、形容詞を使っても経験者を示すことができる。

  • このクリーム、ベトベトするよ。
  • そうかな。

    • 私にはベトベトだよ。
    • 私はベトベトするよ。
    • 私にはベトベトなの。
    • 私はベトベトするの。
    • 私にはベトベトするの。

これに対して、形状動詞の「ネチョネチョする」ではどうなるだろうか。

  • このクリーム、ネチョネチョしてるよ。
  • そうかな。

    • 私にはネチョネチョだよ。
    • *私はネチョネチョしてるよ。
    • ?私にはネチョネチョしてるよ。
    • 私にはネチョネチョなの。
    • 私にはネチョネチョしてるの。

つまり、判断や主張の「のだ」を使わないと、 形容詞に比べると動詞では、 誰の主観かが示しにくくなっている。 なぜ主観的な判断が入るとされた方が、誰の主観かを示すのが難しいのだろうか。

ところで、英語にも第4種に相当する動詞はそれなりにある。

  • ジョンはお父さんに似ている。
  • John resembles to his father.
  • あなたの子どもは数学で優れている。
  • Your child excels in mathematics.

このような現在形と「ている」形の対応は、 通常の状態動詞でも同じである。

  • 愛しています。
  • I love you.
  • 知ってるよ。
  • I know.

ということで、修飾するときに「た」形が出てきやすいことを除けば、 形状動詞は状態動詞にすぎないのではないかと考えている。

2015年3月23日月曜日

金田一の動詞分類、第4種のアスペクト

金田一春彦先生が、 1950年の「国語動詞の一分類」で 動詞を語彙的アスペクトにより4つに分類した。 なお、第4種の名称「形状動詞」は後に使われるようになったものだ。

  1. 状態動詞「ある」「いる」「出来る」「値する」 -- 「ている」が付かない。
  2. 継続動詞「笑う」「読む」 -- 「ている」が進行を表す。
  3. 瞬間動詞「死ぬ」「消える」 -- 「ている」が結果を表す。
  4. 形状動詞「そびえる」「面する」「優れる」「似る」 -- つねに「ている」で現れる。

例えば、「似る」では具体的な場合で現在の状態について:

  • 今現在、太郎はお父さんに似ている。
  • *今現在、太郎はお父さんに似る。

もちろん形状動詞であっても「ている」をともなわないばあいもある。

  • [一般] 親は子に似る。
  • [未来] 太郎は、痩せれば、お父さんに似る。

国広哲弥先生の『日本語学を斬る』(2015、研究社、p.129)では、 第4種の動詞が「ている」で使われることを「痕跡的認知」によるとして、 「結果」の比喩であると考えている。 名詞を修飾するばあいの形が、 このことをサポートになりうる。

  • お父さんに(似ている|似た|*似る)人が、太郎だ。

しかし、形状動詞は、少なくとも現在では分けて考えるべきではないかと 考える。

「値する」は状態動詞であり、実際、青空文庫には「値している」が 検索しても出てこない。 ところが、 現在では形状動詞として使われる例が出てきている。

また「優れる」などでは、名詞の修飾で「る」形が使われるばあいもある。

形状動詞は、状態を表す動詞の下位区分にすぎないのだと思うが、 考えはまとまっていない。

2014年11月21日金曜日

「汚名」はどうするものなのか

グラフを修正しました。

飯間先生らによる Tweetのまとめ 誤用ではない?「汚名挽回」「名誉挽回」をめぐる辞書編纂者らの議論にあるように、 「汚名挽回」は《誤用》とは言えない。 意味についても、 「挽回」は"悪い状態をよい元の状態にする"ことなので、 「領地挽回」も「失地挽回」も同じことになる。

これに関する議論で個人的に不満なのは、 「汚名返上」がいつから規範になったのか、 また、それ以前はどういう形が規範とされていたのかである。 これについては、別サイトでも日記を書いたことがあるが、 グラフを作ったので、こちらでも書く。

結論から言えば、「汚名返上」自体も戦前においては、通常の表現ではなく、 「汚名を雪ぐ」が適切な表現であったということになる。

「汚名」がある状態の改善として『日国』にあるものは、 『読本・椿説弓張月』(1807--11)続42回「国の為に忠義を竭(つく)して、〓々(ててご)の汚名(オメイ)を雪(きよ)め給へ」である。 しかし、明治以降の例を Google Books で拾うと、 河竹黙阿弥(1892)『狂言百種』の「汚名を雪ぎ」、 柳亭種彦(1898)『偐紫田舎源氏』の「汚名を雪ぎ」のように 「雪ぐ」が多い。

「汚名返上」のGoogle Books における初出は、 1948年『国民健康保険小史』の 「山中町かつては解下最苗の不健康地で死亡卒は千人に十八人の再卒の汚名返上が 戎立の助槻となり」である。 なお、1922年の『歴史の中の教師』は、1993年にぎょうせいから出版されたもので、誤登録である。

「汚名挽回」はこれより古く 1919年『キネマ旬報』「ケイシ—は汚名挽回のため」である。 次は[雑誌では号の刊行年に関係なく、創刊の年が表示されることがあるようだ 2016-10-05] 1928年『三重縣風物記』であるが、用例を見ることができない。 その次が1942年『大東亞戰爭海戰史: 緖戰篇』「汚名挽回のため小癥にも出柒して來た」 である。

1930年から5年(1930年1月1日から1934年12月31日のような分け方)で、 割合を積み上げ面グラフにしたのが、次のものである。 「汚名返上」が拡大したのは、戦後1945年-1950年の短い期間である。 一方、これより古い「汚名挽回」が広まるのは1960年代を待たなければならない。

古来からの「汚名を雪ぐ」が、この議論であまり出てこないことが不思議である。

2014年10月3日金曜日

英語で1語として綴られるようになる基準が分からない

fire fighter と firefighter が混じっていて、 後者に変化している最中のようである。

上の赤線は、1語で綴る割合である。下の青線は参考のための fireman からの移行の割合である。 gender-neutral な表現への移行として、 fireman からは fire fighter がガイドライン (例: カナダ政府)にある。 しかし、1語にした firefighter がどんどん増えている。

一方、stewardess の言い換えである flight attendant には1語の表記はほとんどない。

複合語が1語、ハイフン付き、2語のどれで表記するかは、 分からないことが多い。 とりあえず名詞+動詞er型の複合語を集めて調べてみたい。