2015年9月27日日曜日

仏語 spécial の異分析

2015年5月のロマンス語学会大会、 2015年9月の東京フランス語研究会で、東京外国語大学の古賀氏が、 「名詞 spécial 名詞」という形について、 研究発表をした。 丹念にデータを集め、きちんと検討をした、優れたものであった。 氏は、ここで「名詞 à 名詞」型の複合名詞と似た点があり、 spécial をコネクターと考え、 さらに 「spécial 名詞」が独立して使われる例を紹介された。

尻馬に乗り、いくつか例を追加したい。

以下の例は1965年に発刊された雑誌(Montpelhier大学のBulletin trimestriel: Société languedocienne de Géographie)のもので、Google Booksで見付かった。

(1) tarif spécial étudiant
    料金  特別な  学生
    "学生特別料金"
     https://books.google.co.jp/books?id=zkksAAAAMAAJ
  

この例では、 限定型「学生[特別料金]」なのであったが、 接置型「[学生特別]料金」 という構造になっても不思議ではない。 実際、そういう方向になっていると考えられる。

少なくとも限定型では名詞が複数のときもある。 以下の例は2006年のものであるが、 同じ表現を私が学生であった四半世紀前にも見た記憶がある。

(2) tarif spécial étudiant et chômeur
    "学生・失業者特別料金"
    https://books.google.co.jp/books?id=LIIiAQAAIAAJ
  

ところが、比較的最近のものではspécialを繰り返すものも見付かる。

(3) Un tarif spécial famille nombreuse et spécial étudiant ceinture noire
    "子沢山家庭特別・黒帯学生特別料金"
    http://www.castries.fr/index.php/Outils/imprimer?idpage=64&idmetacontenu=328(Googleのキャッシュ)
  

限定型であれば、他の形容詞の似た意味・構文のはずのもので、 性・数の一致が異なる例も見付かる。

(4) Nous pratiquons des tarifs préférentiels CE et spécial étudiant.
    "私どもはCE優遇・学生特別料金を実施しております。" [CE=Comité d'entreprise]
    http://www.institut-aux3sens.com/prestations-esthetiques.php
  

エステの料金は、一般料金と契約CE向けものが載っているが、様々である。 ここで、préférentielがtarifsに性・数で一致し男性複数であるが、 spécialは一致せず男性単数であることに注意が必要である。 ただし、表記のみでほとんどの方言では発音上は一致が分からないばあいである。

単独で使われるばあいもある。不定冠詞複数 des のあとに、 無変化で出てきている。

(5) Merde, dommage que asus ne fait pas des spécial étudiant
    "クソ、ASUSが学割をしないのは残念"
    http://forum.hardware.fr/hfr/OrdinateursPortables/Ultraportable/unique-zenbook-infinity-sujet_70318_1.htm
  

無冠詞で属詞のときもある。この例は、学生限定パーティーの宣伝である。

(6)  Enfin bref tu l’auras compris le jeudi c’est spécial étudiant!
     "つまりさ、分かったろう。木曜日は学生特別だ。
     http://www.soonnight.com/q/special-shooters/soiree-special-shooters,0,3.html
  

内容が異なる形容詞・過去分詞との並置もある。

(7)a. Toutefois, une récompense surprise et spécial nouvel an sera offerte à chaque participant.
      "それでも、驚きの新春特別褒賞が参加者皆に提供されます。"
      http://community.eu.playstation.com/t5/Ev%C3%A8nements/PlayStation-Home-Brisons-la-glace-pour-le-nouvel-an/td-p/17873130
  b.  Le bar du Royal Monceau a donc trouvé  un menu idéal et spécial météo capricieuse:
      "してみると、Royal Monceauのバーは、理想の、気紛れな天候特別セットメニューを見付けたのだ"
      http://www.sofoodsogood.com/2013/06/27/bento-lego-au-royal-monceau/

これらの例からはspécial が、 文脈は限られるにせよ、 無冠詞の名詞に前置する無変化の何かになっていると考えられる。

あとに固有名がくるときも同じとみなしてよいかは、分からない。

 (8) Le coffret inédit et spécial FNAC
     "未編集・FNAC限定ボックスセット"
      http://www.paris14.info/archive/2009/12/30/dvd-chronique-novembre-decembre.html
  

2015年9月24日木曜日

受動態の遂行文の訳における名詞文と完了形

何かをいうことが何かを実行することになる遂行文(performative utterance 遂行発話)の概念は、言語哲学者の J.L. Austin による。例えば、命名するときに:

この船を第三鈴木丸と名付ける。

さて、英語のばあい、受動態の遂行文がある。

    1. You're fired!
    2. お前はクビだ。
    1. War is declared.
    2. 宣戦布告だ。

このようなものでは、 日本語に訳すときに、名詞文(コピュラ文)にすると落着きがよい。 日本語の受け身では「る」形で遂行文にならないようだ。

  1. (今ここで、)お前を解雇する。
  2. (今ここで、)お前は解雇だ。
  3. ?(今ここで、)お前は解雇される。

しかし、「た」形では、いくつかの条件をみたせば、 遂行文になるようだ。 それは、「代理」や「代表」として遂行するばあいである。 例えば、議長が手続き通りに決定するのであれば:

賛成多数。この法案は可決されました。

イザヤ書の6:7もこれではないかと思う。

  1. [ケルビム]はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」 (新共同訳)
  2. With it he touched my mouth and said, “See, this has touched your lips; your guilt is taken away and your sin atoned for.”(New International Version)
  3. et tetigit os meum, et dixit:"Ecce tetigit hoc labia tua, et auferetur iniquitas tua, et peccatum tuum mundabitur." (Vulgata)

英語は現在の受動態であるが、ラテン語は未来の受動態である。 天使が神の代理として、罪を消している。

上の解雇の例文でも、横にいる社長がうなづいたあとで、 人事部長が書類を渡しながらながらなら、次のような例は許容されるとはずだ。

(今ここで、)お前は解雇された。

2015年7月21日火曜日

-zate で終わる動詞

前回は -fy (動詞), -fication (名詞) になるはずのものが、 動詞で -ficate になっているものが少数あることを紹介した。 -fy と並ぶ"〜化する"という意味の接尾辞 -ize では、 これが見つからない。

『リーダーズ+プラス』の中で、-zate で動詞のものは、 solimizate "階名唱法する"だけである。 これは sol "ソ" + mi "ミ" + (i)zation "〜化" からの逆形成であろう。 実際の用法を探すと、solmize, solmizate の両方がある。 music class を加えて site:edu に絞って、Google で検索すると、 前者が約15件、後者が約37件である。 なお、solfa も動詞として使うようである。

2015年7月20日月曜日

-ficate で終わる動詞

ラテン語の -ficare "○○化する"は、 フランス語を経由して、-fy という形になるのが普通であるが、 少数の動詞は、-ficate という形もある。 それどころか、-ficate の方が普通であるものもある。

EPWING版の『リーダーズ+プラス』から検索で出てきたのは、 pacificate (pacify に同じ), pontificate ("大祭司として儀式をする"; pontify なし), nidificate ("巣を作る"; nidify も記載あり), caprificate ("イチジクを受粉させる"; caprify なし), certificate ("証明書を与える"; certify は別項目) である。

OEDでは、caprify が obsolete で、caprificate が無印であるが、 英米の大学に絞って Google で検索をすると、caprify がかなり多い。 nidify と nidificate は両者とも OED にあり、nidify が多い。 OED に pontify は稀とあり、Google でも pontificate に比べて少ない。

certificate と certify には使い分けがあるようだ。 コロケーションがかなり違う。 そのうえ、ややこしいことに 少なくともアメリカでは certified teacher と certificated teacherが違う ことがあるようだ。 certified teacher は必ずしも certificate を持っていない。

2015年7月5日日曜日

敬意逓減の国別の違い? Will から Would へ

丁寧な依頼形の will と would についてである。 敬意は would の方が高いとされている。

敬語は、使っているうちに普通の表現になってしまう。 これを「敬意逓減の法則」と言う。 例えば、英語の you はもともと複数形で単数の thou と対立していた。 フランス語の vous のように tu に対して丁寧な単数としても使われたものであったが、 今ではそうであったことすらも忘れされている。

この法則にあてはまりそうなので、 Will you please と Would you please で、アメリカとイギリスにおける割合の変化を 例によって Google Books Ngram Viewer でグラフ化してみた。

いずれの国でもが would の割合が増えている。 これは敬意逓減が起きていることを示すはずだ。

ところで、 以前はイギリスの方がより丁寧な would を多く使っていたが、 現在はアメリカの方が多く使うようになっている。 これが何を反映しているのかは、思案中である。

2015年7月2日木曜日

Can I と May I の誰が利益を得るかでの使い分け

許可を求める Can I と May I の相対的な頻度を Google Books Ngram Viewer で調べてみた。

いずれの動詞でも can の使用が増えている。 ただし、動詞ごとにある程度の違いがあるようである。 ask のばあいに can の割合がまだ低いのは、 許可については can より may がフォーマルと思われているからであろうか。

これに対して、"May/Can I help you" のグラフでは can の割合が減っている。

これは can I と may I の混同によるのであろう。 むしろ自然な表現であるはずの Can I help you を「誤用」とする母語話者するいるようである。 (Is it incorrect to say, “Can I help you?”?[Yahoo! Answers] L2話者がL1話者に言われて質問している。)

2015年6月17日水曜日

副詞接尾辞 -ly でのアクセント移動

英語で形容詞を副詞にする接尾辞 -ly は、 ふつう付加されてもアクセント位置を変えない。 例えば、compArative に対して、 compAratively のようにである。

しかし、-ary, -ory で終る形容詞に付くばあいには、 アクセントが -Arily, -Orily のように移ることがある。 例えば、prImary に対して、primArily のようにである。 これはアメリカの発音のようである。

これは Ordinary から ordinArily のようにアクセント位置が離れている ときの起こりやすい。 このようなばあいでは、-ary, -ory の母音が ə になっていない。 一方、 provIsory, satisfActory, exEmplary のようにアクセント位置が近いと 起こりにくいようだ。 このようなばあいでは、-ary, -ory の母音が ə になっている。

ただし、elemEntary から elementArily のように -mentary のときには、 起きている。

2015年5月18日月曜日

接続詞としての「なので」と「だから」

接続詞としての「なので」は、 まだ載っている国語辞典が少ない。 載っていても属する文体が口語である旨の だだし書きがある(『三省堂国語辞典』第7版)。 検索エンジンは約物を無視するし、 Google Books で縦書きのものが行が逆になっているので、 探しにくい。用例は Google Books で探してもあまりみつからない。

電話に出なかった。なので、翌日にまたかけた。 (城崎玲『美樹へ』文芸社、1999, p.124.)

いっぽう「だから」は、記載があり、 文体についてのだだし書きもないようである。 『日国』の例は 19世紀半ばに遡る。

滑稽本・七偏人〔1857〜63〕五・下「洗湯(おぶう)へはいって帰て来ると、忽地腹はへっこりサ。然(ダ)から先熱盛にして十三盃と遣らかしたが」

助動詞「だ」の連体形+助詞「ので」の再分析による「なので」と、 助動詞「だ」の終止形+助詞「から」の再分析による「だから」は、 同じような変化の結果である。 しかし、 「だから」は規範になっているが、 「なので」はまだ公式なところでは許容度が低いという判断らしい。 しかし、 公的な場面でも「なので」はみつかる。

国会議事録検索システムは約物も検索してくれる。

要は、裁判官であっても裁判員であっても、過去にさかのぼって何が起きたかを見ることはできません。なので、裁判官であっても裁判員であっても、よく言われる、証拠と法だけに基づいて裁くのであると。 [第189回国会 法務委員会 第11号 平成二十七年四月二十四日(金曜日)]

2010年5月12日から2015年5月12日まででは、 「。だから」は2625件、「。なので」は395件である。 50年前の1960年5月12日から1965年5月12日まででは、 5386件、「。なので」は0件なので、比較的最近に増えてきたようである。

2015年4月29日水曜日

場所を表す「で」と「に」の対

場所の格助詞「に」「で」の 使い分けについて、 考えているがまとまっていない。

杉村(2002)菅井(1997) による、 「で」が背景として 「前景的な主格成分や対格成分を包含する空間領域を示す」 というのは方向性としては正しいと思う。 ただ、項ではなく、イベント自体ではないだろうか。

次の例では、場所を絞ることで、「に」から「で」に変わる。

  1. 蛸焼セットがあるの?
  2. 大阪の家は台所にあるよ。

次の例では「ブランコがあった」だけでは情報が不足な感じがするが、 「イベントがあった」だけでも不足な感じがしない。

  1. 公園ブランコがあった。
  2. 公園イベントがあった。

状態では位置を示すのが求められているのに対して、 動的なイベントについては位置は背景化しなければならないようだ。

  1. 公園丸太がごろごろと転がっている。
  2. 公園子供がごろごろと転がっている。
  1. (ドキュメンタリー番組で)先人たちは里山に暮してきた。
  2. (サスペンス番組で)逃亡者たちは里山で暮してきた。

次の例も同じように考えられそうだが、うまく説明できない。

  1. (家賃が上がると聞いて)もうこの部屋に住めないよ。
  2. (同居人と喧嘩して)もうこの部屋で住めないよ。

2015年3月25日水曜日

金田一第4種動詞は主観的なのか

金田一春彦先生による動詞分類の第4種「形状動詞」 つまり動詞でありながら状態を意味し、ふつう「ている」を ともなうものについて、 主観性が指摘されている。 例えば、古賀恵介先生は次のように書いている

つまり、対象の特性を捉えるということの裏には、様々な考慮を経ながらその判断に至るという話し手の認識の“動き”が存在するのである。ただ、「高い」とか「優秀だ」などの形容詞で表現された場合には、その主観的動きが表には出てこない。ところが、日本語は、その主観的動きを純粋に投影させて表現する動詞を発達させた。それが、金田一が第四種動詞と呼んだ一群の動詞なのである。

しかし、私にはこれが疑問である。 主な理由は、 形容詞(形容動詞)であれば誰の主観であるかを示しやすいのに対して、 形状動詞ではそれが難しくなるからである。

準備のために、 感覚の「ベトベトする」を使った次の会話を考えてみる。 感覚では動詞を使っても、形容詞を使っても経験者を示すことができる。

  • このクリーム、ベトベトするよ。
  • そうかな。

    • 私にはベトベトだよ。
    • 私はベトベトするよ。
    • 私にはベトベトなの。
    • 私はベトベトするの。
    • 私にはベトベトするの。

これに対して、形状動詞の「ネチョネチョする」ではどうなるだろうか。

  • このクリーム、ネチョネチョしてるよ。
  • そうかな。

    • 私にはネチョネチョだよ。
    • *私はネチョネチョしてるよ。
    • ?私にはネチョネチョしてるよ。
    • 私にはネチョネチョなの。
    • 私にはネチョネチョしてるの。

つまり、判断や主張の「のだ」を使わないと、 形容詞に比べると動詞では、 誰の主観かが示しにくくなっている。 なぜ主観的な判断が入るとされた方が、誰の主観かを示すのが難しいのだろうか。

ところで、英語にも第4種に相当する動詞はそれなりにある。

  • ジョンはお父さんに似ている。
  • John resembles to his father.
  • あなたの子どもは数学で優れている。
  • Your child excels in mathematics.

このような現在形と「ている」形の対応は、 通常の状態動詞でも同じである。

  • 愛しています。
  • I love you.
  • 知ってるよ。
  • I know.

ということで、修飾するときに「た」形が出てきやすいことを除けば、 形状動詞は状態動詞にすぎないのではないかと考えている。

2015年3月23日月曜日

金田一の動詞分類、第4種のアスペクト

金田一春彦先生が、 1950年の「国語動詞の一分類」で 動詞を語彙的アスペクトにより4つに分類した。 なお、第4種の名称「形状動詞」は後に使われるようになったものだ。

  1. 状態動詞「ある」「いる」「出来る」「値する」 -- 「ている」が付かない。
  2. 継続動詞「笑う」「読む」 -- 「ている」が進行を表す。
  3. 瞬間動詞「死ぬ」「消える」 -- 「ている」が結果を表す。
  4. 形状動詞「そびえる」「面する」「優れる」「似る」 -- つねに「ている」で現れる。

例えば、「似る」では具体的な場合で現在の状態について:

  • 今現在、太郎はお父さんに似ている。
  • *今現在、太郎はお父さんに似る。

もちろん形状動詞であっても「ている」をともなわないばあいもある。

  • [一般] 親は子に似る。
  • [未来] 太郎は、痩せれば、お父さんに似る。

国広哲弥先生の『日本語学を斬る』(2015、研究社、p.129)では、 第4種の動詞が「ている」で使われることを「痕跡的認知」によるとして、 「結果」の比喩であると考えている。 名詞を修飾するばあいの形が、 このことをサポートになりうる。

  • お父さんに(似ている|似た|*似る)人が、太郎だ。

しかし、形状動詞は、少なくとも現在では分けて考えるべきではないかと 考える。

「値する」は状態動詞であり、実際、青空文庫には「値している」が 検索しても出てこない。 ところが、 現在では形状動詞として使われる例が出てきている。

また「優れる」などでは、名詞の修飾で「る」形が使われるばあいもある。

形状動詞は、状態を表す動詞の下位区分にすぎないのだと思うが、 考えはまとまっていない。