2026年1月19日月曜日

近世までの掛け算の定義

ここでは、近世までの掛け算を説明します。これを藤澤が日本に輸入しています。

ニュートンの時代には、量×数と数×数が定義されていても、数×量が定義されていないので、上のようなことになっています。ざっくりとまとめると、次のようになっているからです。

ただし、いろいろな連続量から同じ連続量への正比例(線形写像)で作れる「実数」がすべて同型であり、さらに$\mathbf{R}$から$\mathbf{R}$への正比例で作られるものも同型なので、全部、同一視しています。

こういう体系なので、量×数、数×数を定義していても、数×量を定義する必然性がないということになります。$r(u) = u\times r$ にしているのに、わざわざ $r \times u = r(u)$ のするのは無駄です。

これをもう少し歴史的に説明していきましょう。

掛け算の定義として、累加が示されることがありますが、それでは乗数が自然数のときだけしか計算ができません。 累加は、乗数(×の右側の数)だけ被乗数(×の左側の数か量)を加えることです。 これを素朴に言っているのが、
(全体の大きさ) = (1当たりの大きさ) × (いくつ) です。

4 × 3 = 4 × 2 + 4 = 4×1 + 4 + 4 = 4 + 4 + 4 = 12, 3 × 4 = 3 × 3 + 3 = 3 × 2 + 3 + 3 = … = 3 + 3 + 3 + 3 = 12 のような計算はできます。

4m × 3 = 4m × 2 + 4m = … = 12m の計算もできます。しかし、3 × 4m は計算できません。未定義だからです。

同様に 4.5 × 3 = 13.5 の計算もできますが、3 × 4.5 は計算できません。未定義だからです。

掛け算できる範囲を広げるために、そのために比を使います。

自然数と基準にする自然数の比、量と基準にする同じ種類の量の比は、アルキメデス性をもとにした(ユークリッドの)互除法によって、連分数として書くことができます。

例えば、15m : 4m を計算するには次のようにします。

$$ 11\mathrm{m} = 4\mathrm{m} \times 2 + 3\mathrm{m}; 4\mathrm{m} = 3\mathrm{m} \times 1 + 1\mathrm{m}; 3\mathrm{m} = 1\mathrm{m} \times 3 $$

これらから $11\mathrm{m} : 4\mathrm{m} = 2 + \frac{1}{1 + \frac{1}{3}}$

この連分数で書いているものが、実は実数です。有限の連分数が有理数です。いつまでも終わらない無限の連分数が無理数です。この比としての実数の中に自然数は含まれているとみなすことができます。

さらにの比にも加法が定義できるので、比と基準にする比の比も考えられ、連分数で書くことができます。このとき、$r$ が比であれば、$r : 1 = r$ です。

この比を使って、(全体の大きさ) : (1当たりの大きさ) = (いくつ分) : 1 のとき
(全体の大きさ) = (1当たりの大きさ) × (いくつ分)
と定義します。 (いくつ分) が自然数であれば、これは累加と同じになります。

注意して欲しいのは、比の前項と後項は同じ種類の大きさ、つまり、数どうし、同じ種類の量でなければなりません。(いくつ分) : 1 があるので、(いくつ分) は数でなければなりません。 そのため、量×数、数×数は定義されていても、数×量は定義されていません。つまり、4×3.5 は計算できるようになり、4m × 3.5 も計算できるようなりましたが、3 × 4m は計算できません。

このような定義のもとで、2種類の量が出てくる問題はどうすればよいでしょう。例えば、次のような問題です。

毎秒4m で進む人は3秒間で何m進むか。

ここから、(みちのり) : 4m = 3s : 1s
という比例式をまずつくります。しかし、これでは掛け算の定義にたどりついていないので、
3s : 1s = 3 : 1
と数の比にします。それにより
(みちのり) : 4m = 3 : 1 がえられます。

そこで、4m × 3 = 12m となります。

こういう数学を「間違っている」という人たちもいるようですが、その人たちのしている数学に制限をかけたものが、このような古い数学です。 これが間違っている、つまり、矛盾があるとすると、自分たちの数学にも矛盾が生じることは理解して欲しいものです。

念のためですが、私はこのような数学がいいとは言っていません。こういう数学もあったという歴史を説明しているだけです。

こういう掛け算が嫌だというのであれば、掛け算をどう定義しますか。その定義のもとで、どういう現象であれば掛け算を使ってよいかを示せますか。 私たちが応用で使っている掛け算では 4m/s × 3s のような対応する現象が簡単に想像できるものだけでなく、4m × 3A のような対応する現象が想像しにくいものも掛け算できてしまいます。 ということは、どういう現象であれば、掛け算が使えるのかを示す必要もあります。 「掛け算の順序」を批判している人たちは、この2つを示していますか。

2025年2月13日木曜日

藤澤利喜太郎による洋算の導入: 「掛け算の順序」を批判する前に知って欲しいこと

「掛け算の順序」を日本に導入したのは、小学校教師ではなく、明治の数学者で、その代表が藤澤利喜太郎です。 最初期に西洋に留学した数学者の1人で、菊池大麓と並んで、日本の算数・数学教育の基礎を作った人です。 彼らが和算から洋算、つまり西洋の数学に切り替えました。 もちろんトンデモではありません。 日本の数学者をまとめる日本数学会は、藤澤の生誕150周年を祝うページをわざわざ作っています。 そこから引用します。

近代日本にあって、菊池大麓がまず西洋流の数学教育を導入したのに対して、藤澤は数学関係では初めて本格的な研究論文を執筆しドイツで理学博士となり、ドイツ流のセミナリー方式を数学研究のために導入し、高木貞治など後進を育成しました。中等教育のために教科書を執筆し、教員講習も行いました 。

この引用で注意して欲しいのが「中等教育のために教科書を執筆し、教員講習も行いました」の部分です。 初等教育の教員を養成する師範学校は、中等教育に位置付けられていました。菊池は幾何学の教科書を書いていますが、藤澤は算術の教科書を書いています。 このような算術の教科書は国会図書館のデジタル・コレクションで見ることができます。 例えば、『算術教科書 上』(1896年、大日本図書)です。

まず掛け算の定義の部分を引用します(p.34)。

第一の数に第二の数を掛くるということは第一の数を第二の数が示す度数だけ採りて加へ合はすといふ意にして, 第一の数を被乗数, 第二の数を乗数, 被乗数に乗数を掛けて得る結果をと称す。 [カタカナをひらがなに、旧漢字を新漢字に変えた。強調は原文ママ。以下同様]

掛け算に交換則が成立することが次に説明されています。ただし、この部分には実は条件が少し足りていません(p.35)。

被乗数と乗数を交換するも其積は変わることなし,

注目して欲しいのは、次の部分です(p.54)。

掛け算の総ての場合に於て乗数は必ずや尋常の数即不名数ならざるべからず, 例へば5を三円倍する或は7円を3里ダケ採るといふが如きは総て意味なき言なり, 之に反し被乗数は尋常の数にても又名数にても可なり。

名数に或る数を掛けて得たる積は被乗数と同名なり。

「不名数」は"単位がついていないふつうの数"です。「名数」は"単位がついている数"、つまり量です。 ここで述べているのは、量×数、数×数は定義されているが、数×量、量×量は定義されていないということです。 量×数=同種の量ですが、これは算数教育では俗に「サンドイッチ」と呼ばれるものです。

ということは、2番目の引用に反して、量×数では、数×量が未定義なので、交換則は成立しません。

「掛け算の順序」を批判する前に知っておいてほしい、最低限の数学

なぜ、これを書いているか

前提となること

  • 数学的に間違っていないことを「間違っている」と主張する人が多い。
  • 批判しているのに、自分が使っている体系での掛け算の定義を知らない人が多い。

お願い

この文章を読んで、どこかの部分が「間違っている」と主張したい場合には、それを証明して、どこかに投稿してください。 証明ができないなら「間違っている」と言わないでください。 公理系と定義が違えば、証明する内容が変わるというのは、現代の数学の大前提なので、 別の体系で証明しても意味はありません。 文句をつけたいなら、例えば下の1.の体系のもとで、一般に交換法則が成り立つことを証明してみてください。 「掛け算に順序がある」という教科書を書いたニュートンや高木貞二を超える数学者として褒めたたえられることでしょう(大学1年生の知識で不可能なことがわかります)。

書いているのは、どういう人か

正規職にたどりつくまで、なぜか塾や予備校で数学を教えていた言語学者。 当時からメタ理論なことばかり言っていたので、仲間からは「哲学の人」と呼ばれていた。 明治時代からの代々、教員の家系。

3種類の掛け算

次のような掛け算はいずれも定義できます。つまり、どれも間違っていません。

  1. 交換法則が成立しないことがある掛け算(古代から近代、現代でも初等教育で使われる)
  2. 交換法則がいつでも成立する掛け算(近代後半からの応用科学、定義を示さずに中等教育以降で使われている)
  3. 順序がないので交換法則じたいが存在しない掛け算(誰も使っていない)

1. 交換法則が成立しないことがある掛け算

大半の人が習ったのは、この体系です。 そういう検定教科書しか今では存在しないからです。 文科省の『指導要領解説』は、この立場です。

掛け算をイメージするときに、数のみを思い浮かべる人が多いのですが、 現代風にいえば、 加法 + についての可換な半群$X$と自然数$\mathbb{N}{}_{+}$について、$X\times\mathbb{N}{}_{+}\rightarrow X$ の写像で、 $n$ の次の自然数を$n'$ としたとき、次のように定義されるものです。

\(x \times 1 = x, x \times n' = x \times n + x.\)

この「累加」は素朴に書けば、つぎのようなものです。

\(x \times 1 = x, x \times 2 = x + x, x \times 3 = x + x + x, \cdots.\)

これで交換法則が成立するのは、$X = \mathbb{N}$ のときに限られます。

半群$X$を連続量にして、自然数から実数$\mathbb{R}$に拡張します。 「倍」や「比」と考えますが、これを説明すると長くなるので、いずれ別稿にします。 なお、歴史的には、連続量の「比」として、実数が作られていきます。 連続量として長さを主に使っているのが、エウクレイデス(ユークリッド)の『原論』です。 高木貞二の『数の概念』も そういう方針です。

いずれにせよ、こういう体系における掛け算は $X\times\mathbb{R}\rightarrow X$ という写像です。 そのため、交換法則が成立するのは $X$ も数である場合に限られます。そのため、応用問題の立式の段階では、順序を気にする必要があります。 小学校の算数での「サンドイッチ」も、これによります。 例えば、つぎのような問題を考えてみます。

時速4km で2時間、進む道程はどれだけか。

\(4\textrm{km} \times 2 = 8\textrm{km}.\)

次のような式は、いずれも未定義なので、許されません。

\(4\textrm{km/h}\times 2\textrm{h}, 2 \times 4\textrm{km}, 4\textrm{km} \times 2\textrm{h}, 2\textrm{h} \times 4\textrm{km}.\)

2. 交換法則がいつでも成立する掛け算

[2026-01-19 用語を訂正し、記号をいちぶ変更した。「半写像」→「部分写像」]

上の1.のような体系は、不便なので、$4\textrm{km/h}\times 2\textrm{h}$ のような式が使える体系が使われています。 そうしないと、おなじみの次元解析ができません。 しかし、困ったことに、これができる掛け算の定義をきちんと書いてあるものは、ごく少数です。 そのため掛け算の定義を尋ねると、1.のものを答える人が大半です。

この体系では、量を$\{\textrm{km}\}\times\mathbb{R}$ のように"数と単位を掛けたもの" として扱います。 掛け算は、数どうし、単位どうしを掛けたものとして定義します。 このとき、単位の掛け算は、次数の足し算です。 また、数自体も「無次元の量」とみなします。 つまり、$\{1\}\times\mathbb{R}$ を$\mathbb{R}$ と同一視します。

この体系で交換法則が成立するのは、実数$\mathbb{R}$が可換な体であることだけでなく、単位が可換な群(単位元は$1$)であることにもよることに注意してください。 また、 $4\textrm{km/h}\times 2\textrm{h}$ は計算できますが、$4\textrm{km/h}+2\textrm{h}$は計算できないので、この体系自体は体や環ではありません。

1.とは異なり、この掛け算には「累加」「倍」「比」のような分かりやすい「意味」がありません。 そのため、どういう現象が掛け算で表すことができるかを判断するために次のような定理を用意します。

部分写像$f: (\{\mathbf{uv^{-1}}\}\times\mathbb{R}) \times (\{\mathbf{v}\}\times\mathbb{R}) \rightharpoonup \{\mathbf{u}\}\times\mathbb{R}$ が次の条件を満たせば、 $f(x\mathbf{uv^{-1}}, y\mathbf{v}) = x\mathbf{uv^{-1}}\times y\mathbf{v}$ と掛け算で表すことができる。

  • $f(x\mathbf{uv^{-1}}, 1\mathbf{v}) = x\mathbf{u}$,
  • $f(x\mathbf{uv^{-1}}, y_1\mathbf{v} + y_2\mathbf{v}) = f(x\mathbf{uv^{-1}},y_1\mathbf{v}) + f(x\mathbf{uv^{-1}}, y_2\mathbf{v})$,
  • さらに$f$における$\mathbb{R}\times\mathbf{v}$の定義域が連続であるとき、\(\lim_{y\mathbf{v}\rightarrow{}b\mathbf{v}} f(x\mathbf{uv^{-1}},y\mathbf{v}) = f(x\mathbf{uv^{-1}},b\mathbf{v}).\)

これが「掛け算の意味」と言われているもので、(全体量)=(1当たり量)×(いくつ分)という図式です。 ここの「いくつ分」が1.と違って、量でいいことにも着目してください。 数式で書きましたが、イメージして欲しいのは正方形のタイルをもとにした「かけわり図」と呼ばれるものです。 中学受験経験者や受験算数・受験数学関係者は「面積図」として知っているはずです。 (これを抜きに、つるかめ算や食塩水を説明したら、理解できる生徒はどうしようもなく減ります。)

これによりようやく、みちのりを求めるときに 4km/h×2h = 8km のような式を書くことができるようになりました。 また、いったん4km/h×2hという式を作ってから、交換法則により2h×4km/hという式を導くのはかまいません。

しかし、上の定理を使うのであれば、いきなり2h×4km/hと書くときには、説明をする責任が生じます。 2h = 2km/(km/h) ではあるのですが、これがどういう「1当たり量」なのか、説明できるでしょうか。 いわゆる「双対問題」を考えれば、いいのですが、とうてい自明ではありません。

なお、念のためですが、上の条件で引数を逆順にしたものを定理にしてもかまいません。 どちらでもいいので、20世紀に英語圏では順序を逆にすることが増えています。 そうであろうとも、個人的に両方とも定理にするのは美意識の問題で、ダサイと思いますが。

気をつけて欲しいのは「部分写像」なので、掛け算であっても対応する現象がないこともあることです。 例えば、$x$ in (インチ)が何cmなのかを考える場合は、2.54 cm/in × $x$ in = $2.54x$ cm のような式しか、現実に対応しません。 そうであっても、1 cm/in × 3in = 3cm のような計算じたいはありえます。 何かの計算の途中で出てくる可能性があります。

3. 順序がないので交換法則じたいが存在しない掛け算

「順序がない」と「交換法則が成立する」は違うことを理解してください。 通常の意味での掛け算の記号を〈×〉としたとき、次のようなものを考えます。

\(g(\{\langle{}x, y\rangle, \langle{}y, x\rangle\}) = x\times{}y.\)

なお、このとき、以下のようになります。

\(g(\{\langle{}x, x\rangle\}) = g(\{\langle{}x, x\rangle, \langle{}x, x\rangle\}) = x\times{}x.\)

ここでこの新しい掛け算の表記を〈・〉と書くことにします。つまり、

\(x\cdot{}y = g(\{\langle{}x, y\rangle, \langle{}y, x\rangle\}).\)

このとき、下のようにいっけん交換法則が成立しているように見えます。ただし、あくまでも見えるだけで、交換法則じたいが存在しません。

\(x\cdot{}y = y\cdot{}x.\)

というのも、これが成立する理由が$\{\langle{}x, y\rangle, \langle{}y, x\rangle\} = \{\langle{}y, x\rangle, \langle{}x, y\rangle\}$ なので、 見掛けが違うだけの同じ式だからです。

こういう体系をつくるのは簡単ですが、誰も使いません。とくに利点がないからです。

まとめ

単純に数学として成立するか否かということであれば、

  • 掛け算に順序があるものも、ないものも作れる。ない場合には、交換法則じたいがない。
  • 掛け算に順序がある場合、下のどちらもありうる。
    • 交換法則がいつでも成立するもの
    • 交換法則が成立しないことがあるもの

そうであるにもかかわらず、どれかを否定する人を私は軽蔑しています。

2024年1月30日火曜日

スラドから自分の日記の一部をコピペ

2024年1月31日に閉鎖が予告されているスラド https://srad.jp/ から自分の日記の一部をこちらに移しました。 主に数学と教育関係のものです。 その他のもの、言語学やマイノリティ関係の映画に関するものなどは、消えるにまかせることにします。

日記間のリンクは、重要そうなものは置き換えていますが、そうでないものは置き換えていません。

「知る=出来る=分かる」という病 (スラド日記 2007-04-26)

 教育関係者がときどき持ってる強迫概念の一つが 「知る=分かる=出来る」というモノだと思う。 これを看破したのは、板倉先生@仮説研 (いいリンク知らないから仮説社http://www.kasetu.co.jp/)だったはず。 この強迫概念と「教師が全部説明しなければならない」という強迫概念が相俟って、 真面目タイプの教師と生徒を不幸にしていると思う。

「知る」「分かる」「出来る」の別を 大学初級の数学で例を出しとくと、 「実数の完備性」は知ってればいいことで、 「4次以上の行列式」は出来なくても分かってればいいこと、 「変数分離形の微分方程式の解法」は分からなくても出来ればいいこと、 って具合である。

「知る」だけでいいのなら「これ読んどいて」でいいのだと 開き直っていいじゃないか、と思う。 教科書以外を読むのも勉強だし、 それも楽しいんだと知ってくれればいい。

「分かる」はちょいと置いといて、 「出来る」が問題なのだと思う。 「出来る」ようになるには「やってみる」が前提にある。 「やってみる」うちに 勘をつかんで「分かなくても出来る」ようになったりしていたのだが、 その「やってみる」をなかなかしてくれなくなってきている。 その前に「分かる」を求める生徒が増えてきている。

これ自体は良いことのように聞こえるが、 生徒の「分かる」が「納得」で、 教師の「分かる」が「理解」と異なるものだったりする。 これが教師と生徒の関係の傷口を拡げていく。 対人関係で「納得」の度合いが変るんで、 ボクたち「変なヒト」にはこれが響いてくる。

で、まあ、人間関係苦手な身としては、 多少反発あってもしようがないやと開き直りつつ、 この説明は研究した身としては許せんと思いつつ、 なんとなくそれっぽいのを使うしかないと思うんだな。 例に出して悪いかもしれないけど、 英語記号付けhttp://www1.gifu-u.ac.jp/~terasima/なんかいい感じ。

# だめだ。こんなの書いても眠気がとれない。 未明の電話って一日響く。 家帰って、仮眠してから明日の準備しよう。

[読書] 英語教育が亡びるとき (スラド日記 2011-12-31)

 寺島隆吉. 2009. 『英語教育が亡びるとき: 「英語で授業」のイデオロギー』 明石書店. http://www.amazon.co.jp/dp/4750330620

記号研」の寺島先生による、 下から目線の言語教育政策批判。 ほとんど虚構である「憧れのアメリカ」の言語として英語を教えるのが「国際理解教育」なのかという話と、 中下位校の現実を無視して指導要領を決めるなという話。

うーん。タイトルでこんなに煽らなくてもいいのに。 細かいツッコミどころはいろいろあるし、 〈俺たちは知らなかった〉から〈俺たちは騙されてた〉に 飛んでしまう危ういところもあるけど、 寺島先生の本はもっと読まれていいと思う。

僕が寺島先生の存在を知ったのは、 記号研が出来る前だったりする。 志望学科を決めたときに受けた忠告 〈あんなところを出て教員になったら底辺校にまわされるぞ〉 に遡る。その具体例として出されたのが寺島先生。 けど、底辺校でも普通の教員が英文読解をさせることができる 指導法を作ってきた。 底辺の厳しい現実を踏まえての批判、その重さを無視してはいけない。

それが人間というものかもしれないが (スラド日記 2016-11-18)

 教育に一家言をお持ちの方々の中には、 配当学年で理解できないので暗記で乗り切り、 学年が進んでなんとなく理解できるようになったことがけっこう多かったことを お忘れの方もかなりいらっしゃるのでは、 という気がする。

微分のことは積分をもって (スラド日記 2016-12-18)

 森一刀斎 先生がどこかで、 「微分のことは微分でしよう」(「自分のことは自分でしよう」)、 「微分のことは積分をもって」(「自分のことは責任をもって」) と書いていたと思う。

それはさておき、http://togetter.com/li/1059561 のような話。 こういうのを読むと、 《高校の数学教育に問題があることのかなりの責任は、 大学の数学教育の失敗のせい(残りのかなりは文科省のせい)だろうが》みたいな気分になる。

dy=f'(x)dx のような書き方や、解析学の他分野への応用については、 数教協系の高校検定教科書、 「の」つきシリーズ(『高等学校の〜』ちくま学芸文庫で、指導書と合本で再刊)で やろうとして、 検定意見でポシャったむねが、 教科書ガイドに載っていたはずである。
;; 微分演算子にDを使うのは、通っていた気がするけど、 大昔なので自信がない。

解析学だと、19世紀半ばまでの雑な展開から ヴァイアーシュトラウスなどが厳密化をしてという流れがある。 雑な時代だと dy = …… のようなのは書きやすかったんだけど、 厳密化の輸入と中途半端な美意識がドッキングしたのか、 国会図書館のデジタルライブラリーだと、 1910年代のものから、dy/dx のみで、dy = …… と書かないものが、 増えているようだ。

dy = f'(x)dx の形での展開を 超準でなくて、 標準できちんとやろうとすると、 ただでさえ学生に苦手意識のある関数に加えて、 不等式、絶対値、概数と嫌われているものが天こ盛りで、大変。 とはいえ、大学の理系では教えているはずである (そうも言えないのは他大の実践例から知っているけど)。

それにもかかわらず、 高校数学がずっと前からの受験数学の再生産になっているのは、 どういうことよ、と受験産業にいたころから、 ものすごく不満。

数学における文脈と文化への依存 (スラド日記 2016-12-27)

 例の 3.9+5.1 だけど、2つに問題を分けて理解して欲しい。

  1. 普通の等号と誤差があるときの等号は別ものなので、 〈=〉の意味は文脈依存。 意味が違うので、ごっちゃにしないこと。
  2. 普通の等号を使うときに計算しろと言われたら、 「一番簡単」にするのが「マナー」だけど、 何か簡単か、どこまで許容範囲なのは、実は明確な根拠がない。

前段について。

有効数字って、測定値から出てきて、 それが影響しているものだけにある。 つまり、この問題、そもそも有効数字なんて無関係。

有効数字や誤差ありの算術での「等号」を別のに 例えば〈≈〉にしとけば、よかったのに。 ぶつぶつ。 有効数字のような中途半端なものから教えるのは止めて、 誤差範囲から教育しようよ。

後段について。

前段を理解してもらえれば、 単なる表現の問題で、 筋的には 18/2 や 9/1 でもオッケーにするのかという話と同じだと 分かるはず。 なんだけど、18/2や9/1に△つけて、9.0に○つけたい奴が出る。 それはそれでいいけど、 その境界線に主観的でない根拠はあるの? 整数と小数を無意識にひいきしていない?

こういうのって簡単すぎて、 感覚で反発するような奴が出てくるから、 問題を難しくしておく。

例えば、x>0でx^2=2 の解は何? これについて「2乗すると2になる正数」と答えられたとき、 どうよ。これって本質的には√2と同じだけど、 前者でも○をつける? 前者が何もしていないので×なら後者はどう? この差って「空気」じゃないか。 ついでだけど、 x-1=1/{2+(x-1)} から x = 1+1/(2+1/(2+...))=[1; 2, 2, ...] って連分数表示だとどうよ。 分数に比べて「√2が簡単」というのは、 代数的数をひいきする「文化」に「毒された」主観じゃん。

和算用語って何を調べればいいんだろう (スラド日記 2017-01-14)

 橋爪 松園 (編). 1871. 『英算独学』 東京: 雁金屋清吉. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826594/41?viewMode=

明治の頭まで来ると、算数に動員されたのが和算の人たちなので、 用語が変わる。

旧漢字を新漢字に、旧仮名カタカナを新仮名ひらがなに。 「、。」は補った。

乗法は俗に云う掛算にして数を倍する法なり。 又、此の倍したる数を積と云う。 又、乗する数に大小ありて其大数を乗実と称し、 其小数を乗法と称す。 且つ此大小の総称を因数と云う。 又、乗算の記号に於ては英国常に×符を用ゆ。

前の時代に教育を受けた人たちが、教員をやるので、 建前の文書を読んでいるだけでは、 教育現場を絶対に誤解するわけやんか。

和算+西洋初級算術のごちゃが出発点で、 これを整理しようとしていた人たちに いろんな人がいるのをイメージしないと。

矯正と教育 (スラド日記 2017-08-08)

 ;; 気分が乗らないので、半分ヨタ。

伝統的な箸の持ち方はマナーの問題にされやすいが、 むしろ進化論的方法で最適化された、箸での作業のしやすい持ち方だと 考えた方がいいのだと思う。

箸の持ち方が「変」な人も多い。 困ったことに、箸はどう持つといいかを明確にはアフォードしてくれないことだ。 そのせいで「小さな山」を登ってしまったのが「変」な持ち方をしている人と 考えられる。

最適解に近くするには「小さな山」の近傍からズレないといけない。 そうするために、 指の位置をえぐることでアフォードする 三点支持箸という製品がある。 「ダメ」な持ち方になじんでいると、 最初のうちは筋肉がちゃんと動かないが、 1週間ぐらいで、なんとかなる(らしい)。

不思議なことに、これを使っていると、 普通の箸でも「正しい」持ち方をするようになる (と通販サイトのコメント欄にはある)。 「小さな山」より最適解の方が楽だし、 アフォーダンスも分かるようになったからだろう。

ただ、こういうのが機能するのって、 矯正した方がずっといい場合。 最初の「小さな山」を降りることを拒否する人もそれなりにいるし。

板書の色づかい (スラド日記 2017-09-15)

 ちょっとびっくりしたまとめ:

昔の小学校に「赤色や緑色のチョークで文字を書くな、使うのは白か黄色」というルールがあった理由 https://togetter.com/li/1150741

「ユニバーサルデザイン」「インクルーシブ」のような用語が教育関係でも、 よく使われるようになっていきたのに、 逆に色覚の問題が忘れ去られているのか。

チョーク芸人だったころ、 板書での色の使い方は小中教師向けの本で読んだ記憶がある。 現場であまり教えてくれないのなら、 研究室の教育実習用棚に板書 の本を探して置いておかないと。

僕の使い方は:

  • 黒板: 白 -- 文字、黄 -- 重要(下線・枠など線)、朱 -- 注意(下線・枠など線)
  • 白板: 黒 -- 文字、青 -- 重要(下線・枠など線)、赤 -- 注意(下線・枠など線)

他の色は原則として使わないように努力。 ただ、ややこしい話を図に描くときには、もう1色、欲しくなるけど。

プレゼンソフト使うときは、 時間が足りないせいもあるけど、 だいたい白黒。 白地に黒文字、重要は太字、注意は※や×で補うぐらい。

あ、ぼつぼつ学生にプレゼンさせる時期なので、 教室持ち込みの方の iPad mini に色シミュレーションアプリを入れておかないと。

昭和初の教員向け本 (スラド日記 2019-05-30)

 

このちょい前に黒表紙(藤沢の作った算数の教科書)の3次改定。 塩野直道が主導した。

立式と九九の対応が問題。上の pp.188-189:

(1) 九九の呼声

算術書の総九九に於ては、 常に「乗数」「被乗数」「積」の順序に九九を唱える。例えば

4銭×2 = 8銭 ………… 二・四 8
2銭×4 = 8銭 ………… 四・二 8
5×3 = 15 ……………… 三・五 15
3×5 = 15 ……………… 五・三 15

の如く、其の呼声の合理的ならしめて居る。然るに一部総九九主張者の中には、

4銭×2 = 8銭 ………… 四・二 8
2銭×4 = 8銭 ………… 二・四 8
5×3 = 15 ……………… 五・三 15
3×5 = 15 ……………… 三・五 15

の如く、常に「被乗数」「乗数」「積」の順序に唱え、 之を以て順九九に比し合理的であると称して居った。 而し之は文部省のとは正反対の呼声である。

以上は「乗数」「被乗数」に依って其の呼声も決定し、 乗法と九九とを合理的に結合しようとしている。

古い立場の説明、p.189:

更に順九九に於ては

4銭×2 = 8銭 ………… 二・四 8
2銭×4 = 8銭 ………… 二・四 8
5×3 = 15 ……………… 三・五 15
3×5 = 15 ……………… 三・五 15

呼声は「被乗数」「乗数」の中、数の小さな法を先に呼び、 乗法から抽象され器械化されたものであっても乗法とは全く別なものである。 総九九が何れも呼声八十一箇あるのに反して、 順九九に於ては四十五箇の呼声で足りて居る。 而して呼声は三・五15でも 5×3 と 3 × 5 とは同一とは考えなく、 乗法に於ては乗数、被乗数を明瞭に区別する。

文部省の立場というのは修正趣意書。本当はこれを拾ってくるべきだけど、 めんどうなので、下から。pp.191-192:

私の考えを述べるに先だって文部省編纂の修正趣意書の中から、 総九九校正についての部分を抜粋すれば次の如くである。

総九九を唱うるに当り、被乗数と乗数とは何れを先に唱うべきかを実地教授者につきて検せるに、 一定され居らざるが如し。 例えば「二三6」とは「2の3倍は6なり」という意とすべきか、 或は「3の2倍は6なり」という意とすべきか。 本教科書に於ては之を「3の2倍は6なり」との意とし 即ち乗数・被乗数・積の順序に於て九九を唱うることとせり。 3×2=6なる式は「3ノ2倍は6なり」という意なるを以て、 式に於ける順序よりいうも、 又思考上の順序よりいふも、九九を唱えるに被乗数・乗数・積の順序に唱うるを適当とするが如く見ゆれど、 2の掛算九九とは乗数2なる場合の九九なりと見るを正当なりとし、 斯かる見地よりして本書に於ては九九を唱うるには乗数・被乗数・積の順序を以て呼ぶこととしたり。 且斯く定むるときは筆算の乗法に於ても甚だ便利にして、其の場合に乗数を脳裏に記憶し思けば、 被乗数の各桁の数字を見つつ其の乗数の掛算九九を用いて計算を行い得べく、 又筆算の除法に於ても常に法を冒頭に置く掛算九九を用うるを以て商を書き誤る憂なし。

なお、下の著者は、文部省の立場に反対で (p.193):

…… この見地より見て現今多くの算術教育者は、

「掛算九九の構成は累加法により被乗数先唱とする。」

と云う様に一致している様である。

…… 即ち累加に依って九九を構成して行く方が便利であると信ずるので、 唱え方にしても被乗数・乗数・積の順序に唱えて行った方が便利である。

ICMI Study の解説論文 (スラド日記 2020-01-08)

 

中国と米国での算数教育の違いが、 中国側が19世紀の欧米の算術教育の流れによるせいと説明した上で、 19世紀の体系を説明している。 何度も書いているけど、日本もそっちの流れの中にある。

18.7.1.2 の The Rule of Like Numbers of Multiplication のところが、 いわゆるサンドイッチの説明。

2024年1月29日月曜日

標準スコア (スラド日記 2020-03-05)

 

単なる標準化で、意志決定の材料にすぎないんだけどねえ……。 しかも「輪切り教育反対」という人に「偏差値の定義は?」と尋くと大方の人が答えられないというワケワカなことがあったりする。

上の記事でも、次の式は書いてある:
偏差値 = 10×(個人の得点 - 平均点)/標準偏差 + 50.

これは個人の偏差値。予備校が出す学校の偏差値は何かというのは、上の記事でも明確に書いてない。

偏差値を縦軸にして、合格者のヒストグラムを左側に、不合格者のヒストグラムを右側に描く。 このヒストグラムが滑らかでそれぞれ山が1つだとうれしい(実際にはなかなか)。 合格者のヒストグラムの方が山が上で、不合格者のものが下になっているはず。 合格者と不合格者の割合が 6:4 のところが、学校の偏差値 (80% をA判定、60% をB判定にしていることが多い)。

塾や予備校で教えていたときには、この偏差値のせいで「神学部行けそう」とか「美大行けそう」とか言われて、 「そこは学力以外で決まるから、成績の山がフラットなせいなんだよ」と説明するはめになったことが何度か (低くても受かるけど、高くても落ちる)。

データにもとづかずに、えらい人の勘だけで決めたがるのは本当に嫌。

;;まあ今は、えらい人の勘である内申点や評価書を重視せいとか、 文化資本・社会関係資本におもいっきし左右されるポートフォリオ使えとか、 「多様性」の美名のもとに、実際には正反対の社会弱者軽視の「入試改革」が進んでいるので、偏差値より「生まれ」になりつつあるけど。

このネタ、やり方がもったいない (スラド日記 2014-11-05)

 PortalZ に 「1キログラムは何キログラムか」 http://portal.nifty.com/kiji/141104165536_1.htm という記事があがっている。 単にネタ記事のつもりで書いてるみたいだけど、 これ、いい統計教育のネタなので、もったいないなあ。

内容量表示、例えば100.0g、を下回る製品を減らすには、 平均を100.0g より少し上げないといけない。 どれだけ上げるかといえば、標準偏差と不良品率のかねあいで決まる。 標準偏差が 5.0g で不良品率が 0.1% (3.1σぐらい)なら、 平均が115.5g ないと不安。 標準偏差を 1.0g まで小さくできれば、 平均を 103.1g まで下げられる。 約10%原料減らせるのは、すごい利益の差になる。

記事に出ている「たけのこの里」が、 平均 78.5g で四捨五入で半々が78gと79g というのは、 品質管理すごいね。 ポテトチップスの袋サイズが小さいほど、 平均の相対的な割増が大きいのは標準偏差が大きくなるから。

探すとどっかに教案がないかなあ。

19:05 制度についてのメモ

2つの封筒問題における交項級数 (スラド日記 2018-01-06)

 「2つの封筒問題」でググったら「無限や極限値にまつわる問題ではないか」というブログが上位にあった。

「2つの封筒問題」は確率の問題として実は3タイプある。 この人が問題にしているのは、僕が単なる極限の問題だからと、 コメント欄でふられない限り言及しないやつ。

問題を確認しておく。

2つの区別できない封筒があり、 片方にはもう片方の倍の金額が入っている。 交換したときの増減の期待値で交換するかを決めるとする。

  • 【基本型】未開封で決定し、未開封で交換する。
  • 【開封型改】未開封で決定し、開封して交換する。(意図はともかく、リンク先で検討しているのは、このタイプ)
  • 【開封型】開封して決定し、交換する。

手抜きで説明する。 基本型だと、次のように期待値の計算をしている。 ただし、(pn)が確率、(an)が増減の列。

p1{a1+(-a1)} + p2{a2+(-a2)} + p3{a3+(-a3)}+...

つまり、波かっこ内が0なので、和も0というのが、基本型。

開封型改だと、次のような計算になる。

p1a1 + {p1(-a1)+ p2a2} + {p2(-a2)+p3a3} + {p3(-a3) + p4a4} + ...

足し算の順番を変えただけなのだけど、ここで無限がからんでくる。

  • 胴元の入れる金額が有限なら、有限級数なので、順番を変えてよく、基本型と同じで、増減の期待値は0。
  • 胴元の入れる金額に上限なくても、その期待値が有限なら、 増減の期待値の級数は絶対収束するので無条件収束する。 つまり、順番を変えてよく、基本型と同じで、増減の期待値は0。
  • 胴元の入れる金額に上限がなく、その期待値も発散するなら、 和の順番は変えられない。これ以上は、具体的な確率分布による。 増減の期待値が正の有限値になる分布も、無限大になる分布もある。

これらに対して、開封型は、 p1a1 /p1 か {pk(-ak) + pk+1ak+1}/(pk+pk+1) を計算するだけ。 これの正負は分布に依存。

ちなみに開封型改は開封型の平均(期待値)なので、 胴元の入れる金額の期待値が有限のときには、 一部の人が言うような「開封型の期待値が常に正」ということはありえない。

あとは、おまけ。 2つの封筒問題はひっかけの誘導がやはり秀逸。

手元の封筒に x円が入っていたとする。 このとき、もう片方は x/2 円か、2x 円である。 封筒が区別できないので、これらが等確率となり、 交換後の増減の期待値は (x/2 - x) * 1/2 + (2x - x) * 1/2 = 0.25x 円。 これが正なので、交換した方が得である。

これのどこかひっかけなのかを、できるだけ素朴に説明する。

未開封の段階だと 未知数aを用いて、目の前にある封筒内の金額は a円か2a円のいずれか。

  • 手元がx=a円のとき、もう片方は、x/2=a/2円がありえず、2x=2a円のみ。
  • 手元がx=2a円のとき、もう片方は、x/2=a円のみで、2x=4a円がありえない。

つまり、未開封の段階だと x/2 と 2x はxの中にある数が別のときなのだから、 同じ式の中で使ってはだめ。

開封した段階だとxの中の数は同じになる。 ただし、 胴元が持ってきたのが x/2円とx円なのか、x円と2x円なのかは、分からない。 合計金額が 3x/2 円か3x円かは、胴元の気持ち次第で、 等確率とは限らない。

なんの深い話もなく、我々の頭がバグっているだけ。

確率空間なくして確率なし (スラド日記 2017-12-29)

 風邪で寝込んでいたあいだにまた「2つの封筒問題」がどこかで話題になったらしいので、 前にもほぼ同内容を書いたけど、また書く。

;; 年内に片付けたいことが終らない……。

未開封型:

区別できない2つの封筒があり、 片方にはもう片方の2倍の金額(ただし、正)が入っている。 片方を選んで、1回だけ交換できる。 交換した方が得か、否か。

ひっかけの誘導(強調部が誤り):

仮にx円が入っていたとする。 このとき、もう片方が x/2 円か、2x 円で、 封筒が区別できないので、これらが等確率となり、 交換後の増減の期待値は (x/2 - x) * 1/2 + (2x - x) * 1/2 = 0.25x 円。 これが正なので、交換した方が得である。

条件つき確率の問題にするので、 その前にもとになる確率空間 (Ω, E, P) を作っておく。 標本空間として、合計金額と、金額が上の封筒 or 下の封筒かのフラグの対のものを考える。Ω = {(3x, s) | x は金額、s は上か下}。 事象の集合となる完全加法族は E = Pow(Ω)。 確率測度についての制約は P((3x, 上)) = P((3x, 下)) と合計 ΣP(ω)=1。

そうすると「x円が入っていたとする」ときの条件つき確率の標本空間は、 Ω'={(3x, 下), (3x/2, 上)} で、
P((3x, 下)|x円入ってた) = P((3x, 下)) / (P((3x, 下)) + P((3x/2, 上)))、
P((3x/2, 上)|x円入ってた) = P((3x/2, 上)) / (P((3x, 下)) + P((3x/2, 上))) = 1 - P((3x, 下)|x円入ってた) 。

P((3x, 下)|x円入ってた) を q と置くと、増減の期待値は、 (2x - x) * q + (x/2 - x) * (1-q) = x(3q-1)/2 円。……(*)

つまり、qが分からないので未定。 ということで、「仮にx円を引いた」と仮定する方針は筋が悪い。

とはいえ、未開封のときには、別ルートで楽に解答ができる。

合計金額が 3x 円とすると、 Ω''={(3x, 上), (3x, 下)} で、P((3x, 上)|合計3x) = P((3x, 下)|合計3x) = 1/2。 交換したときの増減は、 (x - 2x) * 1/2 + (2x - x) * 1/2 = 0円なので、損得なし。 これはどの合計金額でもそうなので、結局、損得なし。

つぎに開封型:

区別できない2つの封筒があり、 片方にはもう片方の2倍の金額(ただし、正)が入っている。 片方を選んで、1回だけ交換できる。 選んで開けてみたら x円だった。 交換した方が得か、否か。

このときの増減の期待値は (*) なので、不定。

例えば、開けて1000円のばあい、 Ω大尽={(3000, 上), (3000, 下)} でも、 Ω吝嗇={(1500, 上), (1500, 下)} でも、 問題と両立する。 大尽(q=1)なら交換で得、吝嗇(q=0)なら交換で損。

問題と両立するモデルが複数あって、それぞれ答えが違うので、 これは条件が足りない不定問題。

上の説明を理解する気がない人たちで多いのは、 「理由不十分の原理」《分からないものは等確率》をもちだす人たち。 問題なのは、 確率空間の公理を満たすような、 主観的確率の確率測度の決め方が「理由不十分の原理」だということを理解しないこと。 仮にP((3x, 下))=P((3x, 上))=P((6x, 下))=P((6x, 上))=P((12x, 下)))=……=ε>0 とすると、nε>1 となる自然数nがある(アルキメデス性)ので、 下から合計していくと、いずれ 1を越える。 つまり、ΣP((3x, s)) = 1 を満たさないので、 そういう確率測度がない。だから、そういう確率空間もない。

重なることも多いけど、理解する気がない人たちには、 上の説明が勝手に確率分布(確率測度)を決めているが、 自分は全部のばあいの「確率分布」を考えていると思い込んでいる人たちもいる。 けど、イメージできるのと、実際に作ることは別で、 条件を足さないと確率空間を作ることはできない。 ベルトランの逆説と同じで、 問題と矛盾しないで足せる条件がいろいろあることを理解して欲しい。 そのときに通常するのが《文字を使った一般化》で、 実際にやったのが(*)。

確率の問題は、 直感と反することが多いので、 数学や論理が得意な人でも確率だけ苦手という人はそれなりにいる。 だからこそ、念のために基本に戻って計算しなければならない。 それでも不安なら シミュレーションすべき。 とくにシミュレーションを実装するための条件が欠けていないかはチェックすべき。

確率を"起こりやすさ"と説明するのやめれ (スラド日記 2017-08-28)

 素朴展開するときに、確率ってどう「定義」したらいいんだろう。

適当にググると「起こりやすさ」がけっこうある。 けど、これはまずい気がする。 「起こりやすさ」という表現だと、 物理的な世界の側のものと誤解されてしまう。 そうすると、 できごとについて知識が増えると確率が変わる、条件付き確率が、 理解できなくなる。

あと「確からしさ」? これ確か probability を翻訳するための造語だったはずで、 何も言っていないのではないかと。 あと、主観でも感覚的なものと誤解されやすい。

今のところ思いついたので、一番ましそうなのは:

  1. 最初の段階における起きやすさについて、
  2. 今の段階の知識で、可能なばあい全ての起きやすさの合計の中での、 アタリあつかいするばあいの起きやすさの合計の割合。

条件付き確率だろと言う人もいるかもしれないけど、 確率は、全部が条件付き確率にしても問題がない。 確率空間の公理をもとにするしかないけど、 そうすると上のような感じにどうしてもなるはず。

んで、有名問題 (早稲田の過去問) の表現を変えたやつ:

ジョーカーを除いたトランプ 52枚をよくシャッフルし、 最初の1枚を裏にして、次からは表にして 4枚並べた。 2枚めから4枚めは全てダイヤだった。 1枚めがダイヤの確率を求めよ。

分かってる人は即座に 10/49 だけど、1/4 だという粘着でるよね。 上の素朴定義の2が抜けてると、1/4の気がするはず。

地道にやってみる。1枚めを置いた段階では 13/52 = 1/4。

2枚めがダイヤだった段階で、可能性があるは (ダ、ダ)、(ハ、ダ)、(ス、ダ)、(ク、ダ)という並べ方で、 (13×12)/(13×12+(13×3)×13)=12/51。

3枚めがダイヤだった段階で、可能性があるのは (ダ、ダ、ダ)、(ハ、ダ、ダ)、(ス、ダ、ダ)、(ク、ダ、ダ)という並べ方で、 (13×12×11)/(13×12×11+(13×3)×13×12)=11/50。

4枚めがダイヤだった段階で、可能性があるのは (ダ、ダ、ダ、ダ)、(ハ、ダ、ダ、ダ)、(ス、ダ、ダ、ダ)、(ク、ダ、ダ、ダ)という並べ方で、 (13×12×11×10)/(13×12×11×10+(13×3)×13×12×11)=10/49。

もちろん、地道にやる必要はない。2〜4枚めがダイヤという知識があるなら、 上の素朴定義にそって、等確率の49枚中、10枚がアタリで 10/49。

ピンとこなかったら、シャッフルのときに神様がしこみをするイメージ するといいかも。 2枚めこと1番にダイヤを、3枚めこと2番にもダイヤを、4枚めこと3番にもダイヤを しこむ。1枚めこと4番では純粋にクジびき。

あと、逆に素朴定義の1が抜けてる人もいるけど、 こっちは別タイプの粘着になる。 確率を計算しようがないものに確率があると言い張る人たち。

念のためだけど、「起こりやすさ」は別に主観的であってもいい。 大切なのは、確率空間。 ただ、個人的には、主観的なやつは現実推定用のモデルと考えた方が楽だと思う。

画鋲投げ実践やってみたい (スラド日記 2016-12-06)

 確率・統計関係でやってみたい教育実践の1つが、 画鋲投げである。 「二重画鋲」と呼ばれる、 金属製で丸い板の下に針がついているものを用いて、 投げたときに表が出る確率、裏が出る確率が何かを問いかけるものである。 私が受験産業にいたころは、教員向けの実践集にあるぐらいだったはずだが、 最近では中学校の教科書にも載っているようだ。

この実践の意図は、根源事象にあたるものが、 2つでも「同等に確からしい」ということがなければ、 それぞれ 1/2 にならないというものであるが、 もうちょい、付け足したい。

実は、画鋲って、二重画鋲に絞っても、 いろいろなものがある。 例えば、針長が 7mm, 8mm, 11mm のものがある。 11mm の足長タイプと、7mmのものでは板の半径と足の比が異なるので、 表裏の確率がかなり違いそうである。

画鋲の種類ごとに確率はあるけど、 どの画鋲か分からない段階で確率とか言われても困るじゃんということは、 やっておきたい。

リテラシーの話ということにして、 表計算の使い方のところにでも入れられるかなあ。